『さぁ。選ぶが良い』


天上で響き渡るその声に、ナミはぎゅっと瞼を閉じたままボタンを押した。



ルーレットの回転が少しずつ緩められていく。


水晶でできた珠に映し出されていた無数の数字。


数字の螺旋はゆっくりゆっくり回って、ようやく止まった。


『1111-6601-SS』




「SS?」
「クジ運悪いにもホドがあるわね」
「ナミさん、可哀想・・・」

ナミの周りで水晶玉を息を呑んで見つめていた黒装束の少女達がそんなことを口々に言い合った。





「腕が鳴るってもんよ」




『運命は決まった』

『さぁ、行くのだ。ナミ。』


天上の声が再び響いた時、ナミは白い光に包まれた。




Que sera sera!



1




「それにしても、人間界ってあっついわねー」

光に包まれたかと思えば、ナミは片田舎の畦道に立っていた。
一面広がる田んぼには青々とした稲がその体を生ぬるい風に任せてゆらゆらと揺れている。田園を囲む林からはミンミン、じわじわ、蝉がこれでもかというぐらいの大音声で合唱していた。

「まさか、こんな所に飛ばされるとは思ってなかったわ」

頭上に光り輝く太陽を、手を翳して見上げたナミは口を尖らせてじわりと汗ばんだ額にかかるそのオレンジ色の髪の毛を払った。

(こんなとこに来るなら、夏用の服を持ってきたのに・・・)

母のベルメールが、ナミの行く先、日本という国は今、真夏の筈だからとノースリーブのワンピースを用意してくれていた。だが、フード付きのマントに中には何の飾りもない黒いドレス。少し動きにくいけれども、『卒業課題』の為に人間界に行くのだから、それらしい方がいいでしょ、なんて言って、母の好意も受け取らずにいつもの黒い制服を着てきた。

なんと言っても、卒業課題の為とは言え、初めて人間界に来たのだ。
それなりの礼装をしなければ、ターゲットにも失礼にあたるだろう。

そう思っていた。

けれども、人間界に来て5分もせぬ内にナミは後悔してしまっていたのだ。

この暑さ。

つい最近遊びに行った魔界の友達が飼っていたケルベロスの吐く火の息よりも、嫌な感じだ。
でもまぁ仕方ない。
これも自分が引いたクジの結果ゆえ。

諦めの溜息を足下に落として、ナミはくるん、と右手をまわした。
何もなかった筈のその空間に、黒猫が突然現れる。

「ルフィ、行くわよ。あんたもちゃんと手伝ってね」

 にゃあ。

「何、猫かぶってんのよ。さて、ターゲットの家はどこかしら?どうせなら、家の前に飛ばしてくれれば良かったのに・・・本当にくれは先生っていけずよね。」

ポケットから小さな水晶の珠を取り出して、歩き出したナミの肩に黒猫がぴょんっと飛び乗ってしっぽをゆらりと揺らした。
黒猫と共に覗き込んだ水晶球の中にぼんやりと今のナミの姿が映し出されたかと思うと、その景色は高速で動き出す。
ひゅっ、と走るように流れて、田んぼ沿いの道を右に折れて、見えてきた家の前で止まった。

「ってことは・・・」
ナミが顔を上げて前方を確認すれば、なるほど水晶が教えたとおりの曲がり角がある。
「あそこを曲がればいいだけじゃない。ほんと、いけずだわ。こんなに近くなら、家の前まで送ってくれればいいのにね」
黒猫がゆらんと尻尾を揺らす。
「家の前だったら、他の人間にバレちゃうからだろ?」
「ああ、そういう事かしらね。こんなボロ家の周囲に誰かいるとも思えないけど」
「なぁ、それより早く行こう!俺、腹減ったなぁ。俺にもメシ食わしてくれる奴だといいな」
「あんたって、いっつもそればっかよね。ま、いいわ。私も早くターゲットに会ってみたいし。さ、行きましょ」


陽射しを除けるためにフードを被って、ナミは歩き出した。
ルフィと呼ばれた猫は待ちきれないとばかりに小走りで彼女の前を駆けていった。





*************************************





「あぁ。別に心配すんなって・・・あァ?・・・食ってる。・・・わかってる。あぁ、じゃあ・・・」

面倒そうな受け答えをして、男は早々に電話を切った。

(全く、いいご身分だ・・・───)

昨日、両親は世界一周旅行とやらに旅立った。
結婚20周年の記念旅行。
数年前から母がそれをずっと口にしていたが、まさか20周年をとっくに過ぎた今、本当に実行するとは。
その上一人息子を置いて、何と1ヶ月も。

9月の稲刈りの季節には戻るから、と田畑の世話の一切を彼に任せて悠々と旅立ったのである。
港を旅立った船は南下して、今、ハワイに着いたという報告をしていた母の声はどこか浮き足立っていて、一応息子の身を案じて食事はどうかとか、台風が来たら田んぼのことを隣の家にすぐ相談しろとか、言ってはいるものの、息子が電話を切ろうとするのを引き止めもしなかった。

大学を卒業して3年、ずっと親の農業を手伝ってきた。
兼業農家で細々とやってきた農業も、息子がそれを手伝うようになって、ようやく有機栽培とか、無農薬とか手のこんだことに挑戦できるようにもなった。昨年の野菜の出来から、今年は都内の一流レストランとの専売契約も結んだ。
ようやく兼業でなくても暮らしていけるほどになったのだ。

そこで親はやっと安心して、貯金をはたいて世界一周旅行に出たのだが・・・。

実は、親が出かけて数日。
ちゃんとご飯を食べていると言ったのは大嘘で、カップ麺しか口にしていない。
大学で一人暮らししている時のように、カップ麺を適当に買い込んで、畑で採れた野菜を適当に煮て醤油をぶっかけて食べる。
一ヶ月だけとは言え、毎日これかと思えば呑気に旅行なぞしている親に八つ当たりしたい気持ちも膨らんでしまう。

と、言ってもその親は目の前にいるわけでもなく。

はぁと溜息をついて、またカップ麺を包装しているビニールとびりっと破いて、ポットのお湯を注ぎ込んだ。

フタをしてじっと待つ。

その時、開け放たれた縁側から力ない風がふわりと家を吹き抜けて、ちりん、と風鈴が微かに鳴いた。


───にゃあ

「・・・・・・?」

空耳だろうか。

風鈴の音と共に、どこからか猫の声がしたような気がして、男は顔を上げて縁側の向こうを見た。

黒猫がいる。成猫ではないのだろう、少し小柄な体をちょこんと土の上に座らせて、猫はじっと男を見ていた。


───にゃあ

「・・・何だ?匂いにつられて来たのか?」

───にゃ

「駄目だ。これァ俺の昼飯だ。さっさとどっか行け」

───にゃぅお〜ん

「だからてめぇにやるモンはねぇって・・・」





「ルフィはおなか空いてるのよ、一口ぐらいあげればいいじゃない」




聞き慣れない声に顔を上げれば、黒猫の向こうに、この炎天下に黒い服を厚着した女が一人。

「こりゃ、お前の猫か?」
「猫じゃないわ。ルフィは、こう見えても結構頼りになる魔獣なのよ?
 それから、『お前』じゃなくって、『ナミ』よ。」

ぱさっとフードが下ろされて、男の瞳がその少女に釘付けになった。

オレンジの髪が太陽の光を浴びて、艶やかに風に舞った。
少女の体を隠すその黒いドレスが、一層にその輝きを引き立たせている。

まるで一枚の絵のような美しさに、男は息を呑んでいた。



「あなたがロロノア・ゾロね?一ヶ月、よろしくね」

向日葵のように女は笑った。

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