Que sera sera!



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あれだけ『散歩』と聞いて不機嫌だったナミが、その日の夜にはもう笑顔を取り戻して、散歩に行くと言い出した。

一体何があったのかとルフィに聞けば「俺は知らない」と言う。

それでも、彼女が元気になったのならばそれでもいいだろうと、翌日は心なしか自分までもつられて心が軽くなっていて、早朝から田畑の身回りを済ませて、彼女の作ったお弁当を携えてただのんびりとした田園風景の中を二人と一匹で歩いた。
ナミは虫が苦手だと言って、蝉が飛べば悲鳴をあげ、カマキリが路上で鎌首を持ち上げればゾロの後ろに隠れ、蝶々が彼女の周りを飛べばルフィに捕まえろと命令しては、けれどもその後で大きな口を開けて、楽しそうに笑う。
白いサマードレスに麦藁帽子を被って、緑の中、畦道に入っては蛙を見てどの魔法に使える種類だとゾロにウえて彼の顔を曇らせて悪戯っ子のように微笑む。

家から少し離れた誰もいない神社のベンチで弁当を広げて、満腹感からゾロがその場で何時間も寝てしまったと言うのに、起きた彼の目には不機嫌な女の姿など入らず、彼女は嬉しそうにルフィとかくれんぼをしては、息堰切らしてゾロの近くまで来、「ゾロも」と腕を引いて結局夕暮れまで彼らは境内で追っかけたり、追っかけられたり、名も知らぬ野花を見て勝手に名前を付けたり、と時が経つのも忘れて遊び耽った。

帰ればゾロもナミもルフィも遊び疲れて、食事をするのも忘れて居間で3人、顔を寄せ合って眠った。

不思議な一日だった、とそれから数日経った時、ゾロはふとそんな考えを以って、その日を思い出している自分に気が付いた。

何が不思議かと問われれば、言葉にすることはできない。

だが、とにかく不思議だった。

まるでその一日は、新しい発見や驚きなど全くなかったのだ。
ナミの初めて見る顔だってたくさんあった筈なのに、どこかそれを懐かしむような気持ちがゾロの中にあった。
それはまるで遠い昔からずっと知っていたかのような。デジャヴ、とでも言えば良いのだろうか?
だがそれとも違う気がする。

その時の感慨を言葉にすると、それはただの嘘になってしまう。

とにかくあの時、自分は彼女の笑顔を懐かしみ、それと共にその一瞬が永遠なのだと、そう思った。

それ以外の何の感情もない。

ただ、不思議だった。

そう思う自分も。
そう思う自分を受け入れている自分も。

答えの出ないその疑問に彼は雑草を引き抜いた手をふと止めて、誰もいない畑の真ん中、一人首を傾げていた。

一体自分はどうしてしまったのか。

最近あの女のことばかり考えているのだ。

あの女が来てから、彼はその生活だけでなく、心までも彼女にペースを乱されて、気付けば彼女の事ばかり考えている。

(ま、あんだけ人騒がせだからな)

自分に言い聞かせるように呟いてはみたが、ルフィの言った通り、ナミはこの数日、魔法が使えないらしくゾロを仰天させることも呆れさせることもない事をゾロはよくわかっている。

ルフィと一緒に家の周りを回ったり、たまに畑に来てゾロの手伝いをしようとしては、虫に驚いて悲鳴をあげて逃げ出していくぐらい。

そう、普通の女なのだ。

決して魔法が使えないとゾロの前で言うことはないが、かと言って以前のようにすぐ「魔法を使ってあげましょうか?」なんて聞くこともない。

『魔女である』ということを、忘れさせるほど、普通の女なのだ。

そしてまた、その概念を忘れてしまえば、ゾロは妙な気分に襲われて、やけに冷静な目で女を見ている自分を悟った。

それは『魔女であるナミ』でなく『女であるナミ』を品定めしているかのような、不可解な自分が心の中に棲んでいるということ。女の体も、顔も、その言葉も、彼の目や耳から入ってくるナミに関する情報が頭の中で分析され、いつも一つの決断を彼にもたらすのだ。

その度に、ゾロは人知れず大きく頭を振って、頭の中の分析結果を否定した。


(有り得ない)

(あの女を、『好き』だなどと)

(有り得ない)




引き抜いた雑草を脇に置いて、また彼は抜いても抜いても生えてくる雑草に手をかけ、しばらく躊躇ったあとに、まるで自分の気持ちを拭い去るかのように、思いっきりそれを引っこ抜いていた。

毎日の作業。

いくら抜いても、雑草は芽を出し、彼の大切な田畑の中我が物顔でどんどん伸びて、彼を悩ませた。





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「ゾロ、ご飯できたわよ」

顔を上げれば、ナミが縁側から家の前の畑にいたゾロに向かって、手を振っていた。

頭をしばっていたタオルを無造作に取り外し、既に汗にまみれたその布で顔を拭いてから、ゾロは家へと戻った。

卓袱台の上では扇風機の風に黒く輝く毛を微かに揺らしながら、ルフィがじっとテレビを見ている。

「すっげぇなー。これ、本当に来んのかな。
 なぁ、ゾロ!これ来るのか?」
大きな瞳をさらに丸くして、テレビに見入っていた黒猫は、ワクワクした様子でテレビの画面に向かってその小さな足を突き出した。

何が・・と言いかけて、途端にゾロは顔をしかめる。

テレビでは、台風情報が流されている。
関東直撃の文字に気付いて、ち、と小さく舌打ちした。

(くそっ・・・気付かなかった・・・)

一人の女に気を取られて、この時期は特に敏感にならねばならない気象情報すらも気に留めなくなっていた自分に、今更ながら後悔を覚えて、ゾロは風呂に入ることもなく、その場に座ってブラウン管に映し出された映像を食い入るように見ていた。


「ルフィ、ゾロどうしちゃったの?」
料理をトレイで運んできたナミが居間に姿を現した時、ゾロはそんな彼女に気付きもせずにテレビと対峙していた。

「さぁなー。台風が楽しみなのかもなっ!」
「台風?」
「ナミも見ろよ!すっげぇぞ。看板が飛んでるぞ!」
ルフィに促されて、ゾロの後ろからテレビを覗いてみれば、確かに九州地方の様子を知らせる画像は、アナウンサーが飛ばされそうになりながらも必死にその状況を伝えている。

「ああ、台風って、嵐のことね。ルフィ、喜んじゃ駄目よ。
 来たら大変なんだから。ルフィも雨は嫌いでしょ?
 そこに風も加わって、立ってられないぐらいなのよ。
 キングダムは気侯が安定してるけど、私、魔界で一度大変な目に遭ったんだから」

「へぇ!台風って強ぇ奴なんだな!」

「・・・ま、そうだけど・・・とにかく、喜んでちゃダメ。ほら、ご飯にするわよ」

黒猫の背をすっと押して、ナミが彼を卓袱台から下ろすと同時に、ゾロもようやくテレビから目を離し、縁側から見える暗闇の空をじっと見つめた。

気付けば、茜色だった空は暗闇に覆われて、月や星の瞬き一つ見えない。

「ゾロ、ご飯の前にお風呂入ってきなさいよ。まだ泥まみれじゃない」
「いや・・・」
「・・・?」

不思議そうに首を傾げるナミを一瞥して、ゾロはどこかへ電話を掛けたかと思えば、すぐに縁側に置きっ放しになっていたスニーカーを履いて、車庫へと向かった。

「ゾロ、どっか出かけるの?」
「ああ、台風来る前に稲が倒れねぇように、ここらの奴らで協力して色々やることがあるんだ。
 てめェらは家中しっかり戸締りして先に寝てろ。今日は遅くなるから」

ナミとルフィが顔を見合わせている内に、ゾロを乗せた車は闇の中へと走り出した。


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