Que sera sera!



15




その日、ゾロは長い午睡のあとにいつものように畑に出て、雑草を抜いては額の汗を拭い、野菜を収穫しては満足げに口元を緩めたり、とにかく昨日と何ら変わりない日を送っていた。

台風が去った空に、うっすらと赤味が増している。

蓄えられた雨水は、田畑を潤わせ、そこに植わっている生物たちも悦ばしげに青々とした葉を風に揺らす。

これこそ夏の醍醐味だと言うが如く空は晴れ渡っていたし、遠くに入道雲をのぞめば、鳥の影が視界を横切った。

(そう言えば・・・魔女ってのは、箒に乗ったりするんじゃねぇのか?)

どうでも良いことのようにも思えるが、ふと気になって、早々に作業を終えて昼食が用意されているだろう我が家へと戻った。


ナミは未だ体調が悪いらしく、用意された食事は一人分。
それでも作ってくれた物だからとありがたく頂戴していれば、彼女が階下へと降りてきた。
顔は未だ青白く、足下もふらついている。
昨夜、どれだけ自分とルフィがその傍で大声を出しても睫の一本すらも動かせないほどに深く、気を失っていたのだ。一日寝ていたからと言って、すぐに回復するとも思えない。何より、自分に比べて細っこい彼女の体にそれほどの体力があるとも思えずに、ゾロは彼女を二階へと追いやった。

心配なのだ。

それがまた自分のために魔法を使ったせいかと思えば、自分に対しての苛立ちも生まれる。

「すぐ寝ろ」という言葉しか掛けられない自分の不器用さに舌打ちして、ゾロは棚にしまわれていた酒を取り出した。

酒が飲むことは嫌いではない。
というよりも、むしろ好きだ。
喉元を通る時の熱に酔う瞬間も言葉にし難い悦びがあるし、何よりも重くなった体も、心すらもそれが癒す仄かな至福を感じられる。

親がいる時は、自分の部屋でパソコンに向かいながら少しずつ杯を進める。

その両親が旅立ってからは、毎日ルフィと楽しげに話をするナミを横目で見ながら、この居間で酒を飲むのがゾロの日課になっていた。

ふと、ゾロは誰も座っていない筈の自分の隣に目をやって、そこにいない女の姿を探している自分に気付いた。

テレビもつけていない部屋の中ではコチコチと時計が時を刻む音だけが鳴り響いている。


(こんなもん、だったか・・・?)

この居間は。

この家は。

ナミという女が隣にいないというだけで、これだけ寂しく感ぜられる空間だっただろうか。

違う。
家は何も変わらない。

自分が変わったのだ。
ナミがいなければ寂しいと思う自分にいつしかなっていたのだ。

いつからか、ゾロの頭はナミに占領され、心はナミに支配されている。
だが、それがまた何とも言えずに心地良い。
認めてしまえば、ああそうだったのかと妙に納得している自分がいた。

自分が、ナミを好きなのは当然だろう、と。

初めて遭った時にその容姿に目を奪われた。
徐々に紡がれていった彼女との生活に、気紛れでワガママで守銭奴で、だが夢のためにと一途に頑張る彼女に、心を奪われた。

魔法をかけられていたのだ、とゾロは酒を口に含んで、一人苦笑を漏らした。



その時、階段を駆け下りてくるルフィの軽い足音が聞こえたかと思えば、黒猫が居間に顔を覗かせた。

「よぅ。お前も飲むか?」
「あぁ!飲むぞ!」

ルフィは、酒がそう強いわけではない。
だが、ゾロが飲んでいれば必ず横からそれをよこせと飲みたがって、酒に酔って猫の癖に二本足で踊った後、必ず最後にはナミに擦り寄って寝てしまうのだ。
初めは猫などにやる酒はない、と言ってはいたものの、ナミが睨むような目で「ケチね!」としつこく言うものだから、晩酌に付き合わせるようになった。だが、魔獣とも思えぬほど真っ直ぐで、腹心を持たないルフィは今ではゾロの酔い飲み友達だ。

今夜もルフィは慣れた手つきで台所から自分用のお猪口を棚から出して戻ってきて、それをゾロの前にかたりと置いた。

「あの女は?」

酒を注ぎながらルフィに聞けば、黒猫はしばし躊躇うように尻尾を力なく揺すっている。
さすがにいつもと違う様子を察して、ゾロは眉をひそめたまま、猪口を猫の足下に置いてやった。
ピンクの舌でそれをあっという間に飲み干して、ルフィは無言のまま俯いていたが、やがて思い切ったように顔を上げて「ゾロ」と目の前の男の名を呼んで、しっぽでくるりと前脚を包み込んだ。

「ナミはもう駄目かもしれねぇ」

「本人は無理して元気になったフリしてるけどな」

「俺の魔力をちょっとでも分けられればいいんだけど・・・
 俺もさ、人間界だとすぐに体力がなくなっちまうんだ。
 だから、やれねぇ」

「でも、もし今何もしなかったら・・・」

そこまで言って、黒猫の瞳はゾロに向けられた。

思ってもみなかったルフィの言葉に、その男は状況を理解しようとしているのか、数度瞬きをしてから頭をポリポリ掻いてから、ちらっと天井、いや、この天井の上にいるだろう女を見た。

「俺、もう見てらんねぇよ・・・ナミの奴、強がりだからさ」

「ちょっと待て、ルフィ。
 それぁ一体どういう意味だ?
 駄目ってのは・・・」

「ナミ、死ぬかもしれねぇ」

「・・・・?!」

どういう事だ。
さっき下りてきた女は、たしかに体調不良そのものだったが、それでも昨夜の昏睡状態を思えば回復したのではなかったのか?
それとも、あんなふうに階下まで歩いてきたというのも、かなりの無理をしてのことだったのか・・・───

ルフィの言葉は昨夜のナミが強く頭に焼き付けられたゾロにとって、ひどく真実味を帯びて彼の心に響いていた。

そしてそれに責任を感じていただけに、ゾロはごくりと息を呑んだっきり、拳を握り締めたまま卓袱台の上に置かれたグラスをじっと見つめていた。

「でも・・・また、俺の命だか生気だか知らねぇが、それをやったら大丈夫なんだろ?」

ようやく口にしたその声は、自分でも驚くほど掠れている。
深い皺を刻ませた眉も自分で動かすことができないほど、顔が強張っている。

だが、そんな事もよりも今はルフィからの肯定の言葉だけをゾロは待っていた。

「俺もわかんねぇ。
 けど、あんだけ酷かったら、手で触るだけじゃ意味ねぇかもな」

「・・・それ以外に何が・・・」

その時、開け放たれた縁側の向こうから、「ワンッ!」と一声、見知らぬ犬が威勢良く吠えた。

「あ、シュシュ!」
ルフィが縁側へと駆け寄って、なにやら犬とわんわんにゃーにゃー話しているかと思えば、途端に黒猫はゾロを振り返って「俺、ちょっと行かなきゃ」と告げた。

「い、行くって・・・てめェ、ナミはどうすんだ!?」

「ゾロに任せる。シュシュの群れの子犬が台風のせいで迷子になったらしいんだ。
 シュシュが探すの手伝ってくれって言うから、行ってくる!」

言うが早いか、黒猫は大きな豹に変身して、白い犬を背に乗せると暗闇の中を飛び立っていった。

ごう、と豹が飛び去って行く音がした後は、蛙の鳴き声が暗闇にこだまするばかり。

(ナミより、野良犬の方が大切かっ!?)
声にならない怒りを、心中呟いた後にゾロは慌てて二階へと向かった。



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