Que sera sera!



16




そっと襖を開けると、中からは「ルフィ?」と小さな呟くような声が聞こえた。

月明りに照らされたその部屋に足を踏み入れ、後ろ手で襖を閉めてから「俺だ」とゾロが答えると、ベッドに横たわっていた女はがばっと起き上がって、その蒼白い肌を暗闇に浮き上がらせた。途端にゾロは息を呑む。
ただでさえ、月明りが蒼に染めたその部屋の中、浮かび上がった彼女の姿は、いつもはくるくる変わる明るい表情をする女とは微塵も感じさせず、酷く憔悴しきっていて、つい数分前のルフィの言葉が頭に浮んだのだ。



『ナミ、死ぬかもしれねぇ』




暗闇の中、彼女に悟られぬようにゾロを唇の中で歯をぐっと噛み締めた。

この女が死ぬセと・・・───?

そんなこと、許されない。

自分のために、この女が死ぬなど、許される筈もない。






「ゾロ、どうしたの?何かあったの?」

部屋に入ってきたゾロが、あまりにも真剣な眼差しを自分に向けていることにナミは戸惑っていた。男の目がじっと自分の顔を見据えている。ともすれば、その瞳にその身が焦がされてしまうのではないかと思うほどに。それほどに、熱い眼差しで、ゾロはナミを見ていた。

「ゾロ・・・?」

話し掛けても答えを返さない男に近づこうとナミがベッドから足を出したその時、ゾロはようやく我に返って慌ててベッドサイドに近づいて、彼女を無言で制した。触れた彼女の肩は、布越しだと言うのにあまりにも冷たく、ゾロの体の熱すらも奪っていく。だが、この感覚に負けてはならない、とゾロは内心で自分を叱咤激励して、空いた手もナミの肩に起き、ナミの体をまたベッドに横たえるよう、むしろ押し付けるようにして彼女を寝かせた。

「寝てろ。まだ、辛ぇんだろ」

「・・・もう、大丈夫よ。あのね、ゾロ。ルフィに聞いたんだけど・・・
 私がゾロの生気、貰っちゃったのよね。ごめんなさい」

普段からは考えられないほどのしおらしさに、ゾロはまた焦った。

これではまるで今生の別れではないか。

そう思ってしまった自分を打ち消すかのように、ゾロが首をブンブン振る様を、ナミは首を傾げて見ていた。

「何よ?ルフィの嘘だったの?でも、私、本当に楽になったのよ。」

『ナミの奴、強がりだからさ・・・』

またもルフィの声がゾロの頭の中に響く。

「どうしたのよ?ゾロ、何か変よ?」

さすがに、黙ってナミを見つめているだけの彼を不審に思って、ナミはまた体を起こして、男の瞳を正面から見据えた。

(やっぱり、変・・・───)

ゾロがいやに苦々しい顔でナミを見ている。
いや、見ているという表現は適切ではない。
まるで目に焼き付けるかのように、見つめるのだ。

その瞳にナミは胸の鼓動が早くなっていくことを止められない自分に気付いた。

「ねぇ、ゾロ。何かあったの?
 ・・・やっぱり、私のこと怒ってるの?」

ぴくっとゾロが眉を上げた。

「安心して。私、すぐにここから出るわ。
 もう、ゾロに迷惑かけないし・・・だから、そんなに怒らないで」

体力が回復したら、キングダムに帰る。
ナミはそう決意した。

ゾロが好き。

それは揺ぎ無い事実として、ナミの胸の内にしっかとしがみ付いた感情。

けれども、ベルメールを・・・母をキングダムに一人置いていくわけにはいかない自分の身の上と、ゾロが自分を嫌っているのだという思い込みは、『好き』という気持ちよりも遥かに重く彼女の背にのしかかっていた。

これ以上彼に嫌われることに比べれば、卒業試験も、人間界に残るか否かという問題も、今のナミにとってはどうでもいいことなのだ。

だから、最後ぐらいは彼の願う通りにしようと思う。

彼の願い・・・それは、きっと自分がこの家からいなくなること。
迷惑ばかりかけて、何の役にも立てない自分が彼の前から姿を消すこと。

(この期に及んで嫌われたくないなんて、バカみたいだけどね)

そんな自分を嘲るように内心呟いて、ナミはその蒼白い顔に笑みを浮かべた。

だが、そんなナミに呆れたような声が返ってきた。


「迷惑なんて、誰が言った?」

ゾロが顔をピクリとも動かさずに、ナミを見据えたまま言った。

「迷惑だから出てけって俺が言ったか?」
「確かにてめェはワガママで」
「生意気で」
「魔法はヘタクソで」
「その上、向こう見ずの大馬鹿野郎だ」

う、とナミが言葉に詰まった。
言い返してやりたいけれども、ゾロから見れば自分がそんな風だっただろうとこの三週間を思い出す。

魔法は失敗するばかりで、卒業試験のために稼ぎたくて少々強引な手も使ったし、彼が嫌がってもどこかへ連れてけと毎日強請っていたし、その上昨夜は魔力が少ないと自覚していたはずなのに、ゾロに自分を良く見てもらいたいというだけで魔法を使った挙句に倒れて、無意識のうちとは言え、ゾロの生気を吸い取ってしまった。あの感触は小さい頃、まだ自分の魔力を守る術を持たなかった頃にナミも味わったことがある。とんでもない悪寒に身を包まれ、幼いナミは言い様のない恐怖を感じてベルメールにしがみついて泣いてしまった。それを、彼に味わわせてしまったのだ。
言われても仕方のない事ばかり。反論の余地もない。

「だが」

そう言って、ゾロがその手をそっとナミの頭に乗せた。
彼の熱がナミの身体に入り込んでくる。
何と言う熱さ。心地良さ。

そんな自分と反比例して、ゾロは言葉に尽くせぬほどの悪寒を感じているだろうに、そんな様子を微塵も感じさせずにすっとその髪を節くれだった指で梳いて、ナミの顔にかかった一束の髪を手に取った。

「料理は美味ぇし」

「俺のために風呂は入れてくれるし」

「畑の事も手伝おうとしてくれるし」

「そういうお前を迷惑だとは思ってねぇ」



ゾロ、何て瞳で私を見るの?

どうして私の髪に触れるの?

そんな瞳で見られたら、そんなに愛おしむように触れられたら・・・





「いくなよ」

呟くような優しい声がゾロの唇から漏れたかと思うと、ナミは彼の腕に抱き締められていた。
じわり、と熱が伝わってくる。


「駄目ッ!ゾロ、今私に触ったら・・・」

まだ魔力は回復していない。
身体だけは少しの気だるさを残して、かなり回復したが、魔力がない以上はいくらナミが止めようとしても、魔女の血が流れる身体は魔力の回復に努める。ゾロの熱を貪り食うように、その生気を奪ってしまうのだ。

「離して!離さないと、ゾロが・・・ん・・・ッ?」

次の瞬間、抵抗していたナミの体の力が抜けていった。



ゾロの唇が、優しく、まるで天から舞い降りた鳥の羽に触れたかと思わせるほど優しく、その手で彼女の顔を包んで、ナミの唇を吸っていた。
啄ばむようにゆっくりと唇を微かに動かして、ナミの下唇を軽くはさんでからゾロが顔を上げた。
あまりにも優しいその口付けに、呆然としてその細い指をおそるおそる唇に這わせれば、耳には自分の胸の鼓動が大きく鳴り響き、指先から伝わる唇の熱は、彼そのものの熱と寸分違わず、ナミの胸を焦がしていく。

「俺の生気だか、何だかがあればいいんだろ?」

ルフィが言っていた。
ただ、触れるだけでは駄目かもしれない、と・・・───
いつになく弱気な女の姿に、あの黒猫が言った言葉は本当だったのだと確信したゾロは、それ以外の方法を考える余裕もなかった。彼女にただ触れるだけではいけないのだとしたら、その先のことをせねばならないと。彼女と、全身で抱き締めて、そして体を繋げなければと、彼の行き当たった方法はそれしかなかった。
だが、キスなんて甘い行為をしていると言うのに、ナミの身体は自分の熱を奪って、眩暈を覚えそうなほどの寒気が身を襲った。全身がこの状況に居てはならないと警告を発する。
それでも・・・逆に言えばそれはつまり彼の生気を彼女に与えてやれたということだ、と彼は自分を説得し、ゾロはその異常なまでの悪寒をものともせずに、彼女を強い力で抱き寄せていた。

「・・・だ、駄目。駄目よ、ゾロ・・・あんたがどうかなっちゃうのよ?
 離して。私はいいから。大丈夫だから・・・───
 これ以上、ゾロを困らせたくないの。迷惑、かけたくないの。」
「ああ、迷惑だな」
ぐっと腕に力をこめて、ゾロはナミの髪に顔を埋めたまま、不機嫌そうな声を出した。
ナミは胸にずきっとした痛みを覚えて、それでも健気にも「そうでしょ?」といつものように軽い口調で言った。
「だから、もう・・・」

その先を言おうとして、ぐっと言葉に詰まる。
口を開けば、涙が出てしまいそうなのだ。
わかっていた筈の言葉も、その男の口から、その男の声で聞いてしまって、ナミは尽くし難い痛みに身を引き裂かれたかのような感触を知って、瞳に涙を滲ませた。

「好きな女を抱こうとしてんのに、やたらと寒気がしやがる」

「てめェが魔女だから悪ィ」

「・・・・・?!」

潤んだ瞳が、パッとゾロに向けられた。
彼は寒気と戦っているのだろう。口を真一文字に結んで、しかめっ面を浮かべたまま顔を上げたナミを見て、そして言った。

「悪ぃが、てめェを気遣う余裕なんてねぇからな」

言った途端にゾロはナミの体をベッドの上に押し倒し、その唇を激しく、乱暴なまでに求めていた。


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