Que sera sera!



3




「ゾロ!」

空が茜色に染まって、次第に泥水の中で蛙が鳴きだす頃、ナミはゾロを呼ぶ。
午前中は朝早くから田んぼに出て、そう広くはないが無農薬だから虫を取ったり病気になってないかを一つ一つ丁寧に見て回る。
昼、暑い時間には家で休憩し、午後少し日が落ちた頃にまた暑い中、今度は家の前の畑にかかりきりになる。
ナミが家から出て彼を呼ぶまで、土を作ったり、芽の出具合を見たりと、ゾロは赤く染まる空に気付きもしないで農作業に従事しているのだ。

「そんなに畑が気になるなら、私の魔法でちょちょいっと・・・」
「・・・お前の場合は、ちょちょいっと枯らしかねねぇ」
「何よそれ!失礼ね!!一体私を何だと思ってるの?」
「へぇへぇ。」

呆れたように溜息をついて、ゾロは泥まみれの腕を玄関脇にある水道で綺麗に洗った。

初日のあの大失態の後、ゾロが気を取り戻すと、あの黒猫のルフィがゾロに説明してくれた。
ナミは確かに頭がいいから上級学校に入学できたものの、魔力が不安定でうまくそれを使えない。
つまり、魔法が下手な魔女なのだと。
ナミの魔法は3回に1回は失敗する。

『でも、しょうがねぇんだ。ナミはハーフだから』

『アイツの父ちゃん人間なんだ。魔女と人間の子供だから、力も不安定になっちまうんだ』

『ハーフなのに、上級学校まで行けることなんて無いんだぞ』

『ナミは、すっごく頑張り屋だからな』

『だから、ナミは卒業しなきゃって気負ってんだ』

『他のハーフの奴らに勇気付けてやりたいから、ハーフの自分がエリート街道進めるのを見せたいんだ』

『だから、お前も協力してやってくれ』

そう言って、黒猫はぺこんと頭を下げた。


だが。
先立つものがない。

例えば、料理を作らせようとすれば「こっちのお金で3000円ね」と言われるし、畑仕事を手伝わせようとすれば「こっちのお金で一日1万とんで2千円ね。あ、2千円は暑いから。私の精神的苦痛を考えてプラスさせてもらうわ」などと言う。
言う通りに金を払えば、僅かな自分の貯金はあっという間に失われてしまう。
親が置いていった今月の生活費にしたって、10万しかないのだ。

そんなこんなで一週間、ゾロは一度もナミに魔法を使ってくれと頼んだことはなかった。
ただ、食事の支度や風呂の支度はナミ自身が何も頼まずともやるようになってくれた。
どうにも初日に作ったゾロの料理がよほど気に食わなかったらしい。

こんな食材を見たことがないなどと文句を言いながら、家にあった料理の本を片手に料理を作る。
ルフィの言う努力家というのは本当のことらしく、魔法など使わなくてもナミの料理の腕は一食ごとに磨かれていった。
実は、それが非常にありがたい。

家に入れば風呂はもうできてるし、風呂からあがれば卓袱台には食事が並べられている。

朝おきれば、台所に夜の間にナミが用意してくれたおにぎりが置いてある。

それこそ、自分のためではないだろうに、何だかんだと言ってナミはゾロの世話をしてくれている。

そんな彼女の姿にほだされて、一度だけ買い物に行ってくれと頼んだことがある。
親が買っておいた食材が底を尽きたのだ。
ナミには「こっちの世界で1000円貰うわよ」としっかり言われたが、まぁそれぐらいならたまにはいいだろうと少々甘い気持ちで彼女を送り出した。

だが。

魔法で車を動かして、家の前で思いっきり急発進させた挙句に電信柱にぶつかられた時は空いた口が塞がらなかった。
しかも、それは自分のせいだから無料でいいわなんて言いながら、やっぱり魔法で車を修理しようとして、車に花を咲かせた時には、今まで味わったこともない頭痛に悩まされた。

結局花だらけの車は幼馴染のウソップが、「何で花が?」なんて首を傾げながらも、格安で修理してくれると言ってくれた。
それでも自分が頼んだわけでもない魔法のせいで10万は軽く飛んでいった。

こんな一週間を経て、ゾロはナミに魔法を使わせてはならないと思うに至ったのだ。







「ねぇ、そろそろ頼みたいことないの?私の便利さがわかってきたでしょ?
 あんた貯金あるみたいだし・・・この可愛いナミちゃんの為にそれを崩しなさいよ」

石鹸の香りを漂わせながら、夕飯をたいらげていく男にナミが尋ねると、彼は途端に顔をしかめた。

「阿呆。お前に魔法なんて使わせたら、この家がぶっ壊れるだろうが」

「しっつれいね!一体私のことなんだと思ってるのよ?」

「俺の車の修理代を返してくれれば別に頼んでやってもいいがな」

ナミがぐっ、と言葉に詰まったのを見て、ゾロがにやりと意地悪な笑みを浮かべた。

「・・・あれは、ちょっと失敗しただけじゃない。
 もう一回やったら完璧に直ったのよ。
 それをあんたが止めるから・・・」

「当たり前だろ。目の前で自分の車にあんな事されて、これ以上任せられるか」

しかも車を修理に出したせいで、最近は山道を自転車で数十分かかって買い物に行かねばならないのだ。
この真夏に。貴重な昼寝の時間を割いて。
ナミは買い物ぐらい自分が行くと言ったが、あの惨劇を目にしてはそれすらも頼めない。

「でも、稼がなきゃ卒業できないのよ。まだ一円も貰ってないのよ?
 このまま何も貰わずに帰ったら、いい笑いものになっちゃうわ。」
「そんなこと、俺が知るかよ。てめェの魔法とやらがくだらねぇもんばっかりだから悪ぃんだ」

キャンキャン騒ぐナミの相手もしていられないとばかりに、ゾロはつっけんどんに言い放って、ぽんっと日本酒のフタを開けた。
とくとくとくと注がれていく液体をじっと見ていたナミがその瞳を輝かせて机の下でくるっと指を回す。






「・・・うげっ!?」



酒を呑んだゾロが途端にそれを噴出した。

「な、何だこりゃ・・・?」
不思議そうな顔で大瓶のラベルを見直している。
大吟醸・辛口と書かれたその酒はいつも買っている銘柄で味も慣れ親しんだものの筈なのに。

それはチョコレートの様で、ココアを飲んだかのような甘い後味がゾロの口の中に広がっていた。

はたと気付けば、テーブルの向こうにいた女が肩を揺らして、懸命に笑いを堪えている。

「・・・てめぇ!何しやがった!!」

「フンだ。私をバカにしたお仕置きよ」

「何だと?!早く戻せっ!」

「あーら。私に魔法を使わせたくないんじゃなかったの?
 ゾロの頼みで魔法を使うとなったら、ちゃんと報酬を頂くわよ。
 今回はね、物質の成分から化学変化を起こさせなきゃいけないから
 こっちのお金で言えば2万円いただくことになるわ。
 これって結構高度な魔法なのよ。何せ頭脳労働が必要なんだから。
 ただのバカなら、粒子の結び付きがわからないから、こんな事できないの」

とは言え、ナミが使える高度な魔法と言えばこれぐらいなのだが。
そんな事を口に出しては、またこの男にバカにされる。
そう思ってナミはその事実を隠そうと、敢えて強気な口調で笑みを浮かべた。

「知るかッ!てめェがやったことなんだから、てめェが戻すのが当然だろうが!!」


二人が言い争っていると、縁側からひょいっと顔を覗かせた黒猫がゾロに言われた通り足拭きマットの上でぴょこぴょこその小さな脚を拭いて、肉球を舐めながらきょとんと首をかしげた。

「何やってんだ?二人とも。」と、声を掛けてみても、二人は未だ口論を止めない。

「なぁ、ナミ。俺、腹減ったぞ」

「え?ああ、ルフィ。帰ってきたのね。あんた最近すぐどっか行っちゃうんだから・・・」

ほら、と用意してあった焼き魚の乗せられたお皿を足下に置いて、ナミが呆れ顔を見せた。
もう自分と向き合っていない女に、ゾロがちっと舌を鳴らす。

「ルフィ。てめぇは魔法とやらが使えねぇのか?これを元に戻せよ」
「んん・・・もごもご・・・何の話だ?・・・ナミ、これうめぇなぁ」
「この女が酒の味を変えやがったんだ」
そう言いながら、ゾロは不機嫌そうに眉を一つあげて、睨むようなじとっとした視線をナミに送る。

「あぁ!ナミの得意魔法だもんな!
 というか、失敗の確率が3回に1回から、5回に1回になるぐれぇだけど・・・
 この前は服着替えようとして、物質の変化どころか、服自体消しちまったしな〜」
「ルフィ!余計なこと言わないのっ!」

2尾の魚をたいらげたルフィが、ひょいっとナミの膝に乗ってゴロゴロ喉を鳴らす。
いつもの光景だ。

大抵、ルフィは腹を満たすとナミの膝で寛ぐ。
その輝く黒い毛並みを大切そうに毛づくろいをしたり、顔を洗ったり。
その様はまさしく、猫。

ナミもブツブツ文句を言いながらも、ルフィの背をそっと撫でて、いつしかその怒りを忘れてしまうのだ。

「でもその魔法は俺は使えねぇんだ。使えるナミがすげぇんだぞ!
 上級学校でも、使える生徒はナミだけしかいなかったんだ。
 それを応用して、俺の形を人間に変えることもできるし、
 ナミが猫になることだってできるんだ。な!すげぇだろ?」

まるで自分の事を話すようにルフィが目を細めて得意げに言う。

「へぇ・・・じゃあ何でそんなご立派な魔法が使えんのに、俺の車はあんなことになっちまったんだ」

「物を変化させるのと、動かすことは違うのよ。
 特に、マジックキングダムじゃあんな複雑な機械を載せた乗り物はなかったんだもん。
 その仕組みを理解しなきゃ、魔法なんて使えないわよ」

「・・・って、じゃあ、何でてめぇ運転なんかしようと・・・」

「できると思ったのよ。あんたでもできるんだもん。私だってできると思って・・・
 まぁちょっと自信がなかったけど、水晶玉使えば何とかなると思ったし。
 あれって、魔力を増幅させてくれるのよね。
 私みたいに優秀な魔女が使えば、確実に『車』ぐらい動かせる筈だったのに。
 ま、たまにはそういう失敗もあるわよ。
 私がそんなに完璧な魔女だったら、あんただってつまんないでしょ?
 人生多少のハプニングがあるぐらいが面白いんだから」


はぁ〜と盛大な溜息を漏らしてしまった。

この女。

じゃあつまり、出来ないくせに、出来るって言い張っただけじゃねぇか。

強がりもいいとこだ。

出来なければ出来ない、一言そう言えばいいだけなのに。

「・・・とにかく。そのお得意の魔法で、これをどうにかしろ。
 これだけで1万もしたんだぜ。まだ半分以上あるってのに・・・」

「報酬は支払ってくれるの?」



・・・何故。

ただでさえ、一万払った酒に、更に2万円を払う。
しかもこの女が勝手にやったことなのに。


「何で、俺が金出さなきゃ・・・」

「じゃ、それで我慢しなさいよ。
 アルコール自体は残してあるのよ?ただ、味を変えただけで・・・」

ププッとナミが手で口を抑えて笑う。

(クソッ!足下見やがって・・・)

「わかったよ。払やぁいいんだろ?払ってやるから、早く元に戻せっ!」

すっと細い腕がゾロの前に差し出される。

「・・・・?
 ・・・何だ?」
「前払い制です」

(こっ・・・この女・・・ッ!!)

自分で仕掛けたくせに、この態度。
ゾロの握られた拳に知らず力がこめられていく。

「・・・今は手持ちが無ぇ。明日払ってやるよ」
「そう言って、払わないつもりじゃないでしょうね?」
「払うって言ったら、払う。俺ァ約束は破らねぇ主義なんだ」

ふぅん、とナミがその白い指で顎をトントン、と軽くつつきながらじっとゾロを見た後に「オッケー」と微笑んだ。

くるんと指が回される。




「はい、呑んでみて」

「・・・もう、元に戻ったのか?」

手元のグラスと瓶の中にある透明の液体は揺れもしない。
ただそこで男に飲まれることを待っているだけだ。

「戻したわよ」

「・・・失敗してねぇんだな?」

「当たり前じゃない。私を疑うつもり?つくづく失礼な男ね、あんたって!」

ナミが腰に手を当てて怒った様を見て、さすがにそこまで疑っては悪いかとゾロは一気にそれを呷った。

ブ───────ッ!!!

勢い良くゾロの口からその液体が噴出される。

「なんっだ・・・こりゃ・・・!!!!」

口の中に入ってきたそれは、どう考えても前の味と違う。
辛口の酒でもないし、甘いココアでもない。
かと言って水でもない。

アルコールは確かに入っているという気がする・・・というより、酒に強いゾロの体すらも一瞬で熱を帯びるほどにアルコールの純度が高い。その上、味は・・・なんと言うか、絶妙な苦味と辛さが相まって、とても飲めたものではない代物だ。

「何よ、きったなぁい・・・あまりに美味しいからって、噴出す奴がいる?」

「・・・てめェッ!何しやがった・・・!?」
「何って・・・お酒に戻してあげたんじゃない。まぁマジックキングダムのお酒だけど」
「ふざけんなっ!俺は元に戻せって言ったんだぞっ!!?」
「美味しいでしょ?特製ヤモリ酒。」
「ヤッ・・・ヤッ・・・ヤモ・・・ッ」
「我ながら、上手くできたわ。ルフィも飲む?」

固まってしまったゾロを尻目に、ナミは至極上機嫌にその酒を飲み干していく。
ルフィも「おぉ〜美味いな!」なんて相槌を打つ。

「・・・おい、俺は『元に戻せ』って・・・」
「何よ。あんな不味いお酒よりずっと美味しくしてあげたのよ?感謝してよね」
「ふざけんなっ!元に戻ってねぇんだから、金なんか払わねぇからな!」

そう言ってゾロがナミの手から酒瓶を奪うと、途端にナミが拗ねたように「約束は守るって言ったじゃない」と言った。

「いや、払う義理はねぇ。俺は『元に戻せ』って言ったんだ」

「せっかく、魔法を使ったのに?魔法って結構疲れるのよ。ほら、触ってみてよ」

ナミの手が突然ゾロの腕にあてられた。
真夏の夜、突如触れられたその手はこの蒸し暑さを忘れさせるほどに冷たくなっている。
ぞくりと、寒気が背筋に走ってゾロは口を動かすことを忘れていた。

「ね?可愛い女の子がここまでしてるのよ。」

ちらっとナミが妖しい流し目をゾロに送った。
そのしなやかな両腕を畳につけて、オレンジ色のキャミソールの下の胸の谷間を強調させ、ミニスカートからはみ出した無駄な肉のついていない脚を艶かしく動かし、身を捩らせる。
だが、その事が逆にその手に動きを封じられていたかのように固まっていたゾロを現実に引き戻した。

「・・・小娘が、色目使ってんじゃねぇ」

掠れた声でようやくそれだけを言って、彼は自分の部屋へと戻ってしまった。







「・・・ゾロ、怒っちゃったのかしら?」

「ん〜そうか?それより、この酒マジックキングダムで飲んだのよりゾロの酒の味みてぇに辛口だな。
 ヤモリ酒ってもっと甘ぇはずだろ?ま、俺はこっちの方が好きだけどな」

「・・・───でも、ゾロは気に入ってくれなかったみたい・・・」


寂しげなナミを励ますように、ルフィが桃色の舌でぺろりと彼女の手を舐めた。

「今日はもう寝た方がいいんじゃねぇか?
 あんな魔法、時間もおかずに使ったら疲れちまうだろ?」

「そうね・・・今日はもう寝よっか?ルフィ、お皿を片付けるの手伝ってくれる?」

微笑んだナミにルフィはこくんと頷きを返した。

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