Que sera sera!



8




数日、家にはどこか冷たい空気が流れていた。
と言っても、真夏に実際に冷たいわけではない。
ただ、そこにナミとルフィが転がり込んでから感じられた団欒という暖かみはなく、ナミもゾロも気まずそうに口を噤んで、ろくな会話も、挨拶すらもせずにお互いを見ないようにしていた。
ルフィはそんな二人を見ていつも不思議そうに首を傾げたが、元来そう思い悩むこともない彼は、まぁいいかとばかりに何も気にせずにいつものようにナミの膝でごろごろと喉を鳴らすのだった。



「なぁナミ。今日も家にいんのか?もう4日もそうしてるじゃねぇか」
ついに、ナミが人間界に来て2週間目を迎えた日、ルフィが痺れを切らしたように、ベッドの上で本を読むナミの背に乗って、軽く彼女の頭を引っかいた。
「いいじゃネい。ルフィは遊びに行ってきなさいよ。
 私はこの本読んじゃいたいんだから・・・」

面倒そうに、ナミが自分のオレンジの髪を引っかくルフィの手をパシッと後ろ手で受け止めた。
振り向きもしない。
ルフィの尻尾がぶんぶん左右に力強く振られていく。
機嫌の悪いサインだ。

「だって、ナミが言ってたんじゃねぇか。
 ここから帰ったら、いつ人間界に来れるかわかんねぇから
 この一ヶ月で人間界をたくさん見て回ろうって」

「・・・そんな気分じゃないって言ってるでしょ?
 ホラ、早く出て行って」

しっしっと手だけで部屋から出て行けと指示をする。


ちぇっと呟いて、ルフィは階下へと降りていった。

居間には、ナミが用意した昼食を一人で黙々と食べているゾロがいる。

最近、ナミはゾロと食事の時間をずらしているのだ。
それでも、ゾロの分は「ついでだからしょうがない」と言って、用意するのだが。

「ゾロッ!俺も腹減った!」

たたっと駆けていって、ゾロの膝に飛び乗れば、いつもの事。
ゾロは驚きもせずに、ルフィが欲しがるだろうと思って残していた魚の切り身を手でつまんで、ルフィの口元に持って来る。

「へへっ」と嬉しそうに笑って、それをぺろりと食べたルフィは、それでも何かもらえるかと思って首を伸ばして卓上を見てみたが、既にゾロも食べ終えた後らしい。空になった皿がそこに置かれているばかりだ。猫は途端に髭も尻尾と肩を落とした。

「もう無ぇぞ。欲しいなら、あの女に作ってもらえよ」

明らかに落ち込んでしまったルフィに苦笑しながらゾロはそう言って、ルフィをひょいっと抱き上げると彼を宙に浮かせたまま自分はごろんと横になった。

「・・・・・・で。
 あの女は?」

ナミのことだ。
ここ数日、ゾロはナミと目も合わせない割に、こうしてルフィと二人きり(一人と一匹だが、ルフィにそこまで言葉を使い分ける感覚はないらしい)になると、必ずナミの様子を聞いてくる。ルフィが「本を読んでる」と言えば、何故かほっとした顔になって、そうか、と呟くのだ。

彼は、恐れていた。
まさか自分から金を取らないまま突然帰るということもないが、今度こそナミが自分がつい了承してしまうような魔法を持ち出して、それを機に帰ると言い出すのではないか。彼女はここにいることを、そして、ナミを傷つけるに価する言葉を言ってしまったゾロを心底嫌ってしまって、だから、目も合わせず、口も開かないのではないかと、そんな事を思っては何となく居心地が悪くなって、ナミを見ることができなくなった。
だが、気になるものは気になる。
閉じられた襖の部屋の中で、彼女が今頃何を考えているのか。
もしかしたら、また変な魔法を使ったり、変な薬を作ったりしているのではないかと思うと、居ても立ってもいられない。
そんな時、二人の間を気ままに行き来するルフィは、ゾロにとって唯一彼女の情報を齎してくれる貴重な存在だった。

「ゾロ、ナミの事心配なのか?」
「・・・バカ言え。誰があんな女・・・」
「心配しなくても、ナミはしばらく魔法使えねぇし、
 魔力がなかったら、キングダムにも帰れねぇぞ。」

抱き上げられて宙で揺られたままだったルフィが、ひょいっと飛び降りて、ゾロの顔の傍らで座り直したかと思えば、そんなことを口にする。

「・・・べ、別にあの女が帰るかどうかなんて、俺には関係ねぇ。
 けど・・・」

コホン。

ゾロが一つ小さく咳払いをして、ルフィに体を向けて、片腕で頭を支えて彼と視線を合わせた。

「そりゃ、本当か?」
「ん?本当って何がだ?」
「だから、それだ。魔力がねぇとか・・・魔法が使えねぇとか・・・」
「ああ、本当だ!そうだなー。あと10日ほどは使えねぇんじゃねぇか?」
「そりゃまた・・・何でだ」

自然とゾロの顔が緩んでいく。
ここ数日、頭の中にあった杞憂が晴れて、心なしか体も軽くなったような、そんな感覚に陥ったのだ。

「惚れ薬作ったじゃねぇか。アレは、資格を持ってる奴しか使えねぇ禁断の魔法なんだ。
 人の気持ちを左右するような大魔法なんだぞ。
 魔力だって、いっぱい使うしな!
 水晶玉使って遠視するぐれぇの余力は残ってるみてぇだけど、
 帰るにはいつものナミの魔力の半分は使わねぇといけねえから
 あと10日は回復の時間がかかるんだ」
「・・・待てよ。俺にアレを買わせて、帰るつもりだったんじゃねぇのか?」

ぶんぶんと大きく首を振って、ルフィがその言葉を否定した。

「ナミはそんなに早く帰らねぇよ。
 ゾロがアレ買って、この家を出ても、人間界にはしばらく居るつもりだったんだ」

「・・・何で」

「ここはアイツの父ちゃんがいる世界だからな。
 ずっと来たがってたんだ。色々見て回るんだって、嬉しそうに言ってたんだぞ。
 まだこの国の有名な場所だってトーキョーしか行ってねぇのに
 帰るわけねぇだろ?もしかしたら、父ちゃんがこの国にいるかもしれねぇのに。
 それに、卒業試験ならタダでこの世界来れるけど
 普通の手段でここに来ようとしたら、すっげぇ高い旅行代がかかるんだ」

言い終わって、ルフィは疲れたように前足を伸ばして、ぐぅと伸びた後、ゾロのようにその体を横たわらせて、ペロペロと顔を洗い出した。
ゾロはじっとその様を見ていた。

前脚をピンクの舌で舐めて、その足で顔面を擦る。
特に髭の辺りを念入りに何度も何度も擦って、またピンクの舌で前脚を舐める。
時折こめかみのあたりをすっと撫でて、黒猫は飽きることなく時間を掛けて顔を洗うと、次第にその舌で体の毛繕いを始めていく。

「・・・あの女の親父、こっちの世界にいんのか?」

ピクン、とルフィの耳が動いて、その黒い瞳がゾロをしばらく見つめた後に、黒猫はおもむろに頷いた。

「けど、父ちゃんはナミの事は知らねぇよ」
「・・・何でだ?」
「記憶を消されたからな。
 魔女と愛し合った男は、法律でその記憶を消されるって決まってんだ。」
「・・・どういう法律だよ」

はぁ、と呆れたように溜息を落として、ゾロが両腕を枕に、仰向けになって天上を見上げた。

「一時期、魔女と人間のハーフが増えて、魔力の低下が問題になったんだ。
 それに、魔女狩りとかもあっただろ?
 あれはさ、ハーフで魔力もそんなになくて、人間界に移り住んだ魔女が増えたから
 そんなふうに迫害されちまったんだ。そういう奴らは抵抗するような魔力もなかったしな。
 そういうこともあって、魔女と深く関わった人間は記憶を消されちまうんだ。
 しょうがねぇよ。俺だって、ナミが魔女狩りに遭ったら嫌だもんな」

「・・・今時、そんな事あるかよ」

「そうか?人間は、自分と違う物を信じねぇし、それを見たら怖がるだろ?
 人間って、いつも自分が一番じゃねぇと駄目なんだよな。
 ゾロだって、ナミの話を最初信じなかったし
 魔法を見た時にはひっくり返ってたじゃねぇか」

「阿呆。ありゃ、あの女がいきなり素っ裸になったからじゃねぇか」

天上を見上げたまま、ゾロが少し顔を赤らめて口を尖らせた。

「・・・まぁ、信じられはしなかったがな」

「おぅ!ゾロは知ったからって、迫害するような奴じゃねぇって知ってるぞ!
 だから俺、ゾロが好きなんだ。頑張って欲しいんだ」
「・・・頑張る?」

ルフィはその小さな両脚をゾロの肩に置いて、コクンと頷いた。

「ゾロならさ、ナミの夢を叶えてやれるんじゃねぇか?」

「夢って・・・卒業のか?俺ァ金なんか持ってねぇぞ」

彼が左眉だけをピンと跳ね上げて、瞳だけを黒猫にやれば、ルフィは困ったように首を傾げてからふるふるっとその頭を振った。

「そりゃナミは他のハーフの奴らのためにも、いい会社に就職してぇって言ってるけどな。
 ナミの夢は二つあるんだ。けど、それをどっちも手に入れることはできねぇ。
 だから、ゾロに惚れ薬渡してとっとと帰るって言ったんだぞ。
 もう一個の夢を、諦めようとしてるんだ。気持ちを押し殺そうとしてんだ。
 ゾロに女がいるって分かったから、それをきっかけにしてさ」

「何で俺があの女の夢に関係あるんだ?」

「ゾロがランク『SS』だからな!」

へへっとルフィは嬉しそうに笑って、タタッと縁側へと走って行った。

「俺、散歩に行ってくる。ゾロ、ナミに人間界案内するって言ってみろよ。
 ナミ、絶対に部屋から出てくるぞ!」

そう言って、黒猫はゾロの返事も待たずに庭に駆け下りたかと思うと、あっという間にどこかへ消えていた。




(ランク『SS』だから、だと・・・───?)

卒業試験のほかに、自分とナミに関わりがあること。
その関連性がさっぱりわからない。


ナミの過去、ナミの夢、ナミの将来。

自分が関わらない筈のそれを思って、ゾロは苛立ちを隠せずに舌を打ち鳴らしてから、その体を気だるそうに起こし、しばし考えたあとで二階へと上がっていった。



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