Que sera sera!−saison deux− 5 「・・・そろそろはっきりしろ」 居酒屋の看板に埋め尽くされたその通りには、嫌になるほど酒臭い人間が溢れかえっていて、猫のルフィにとってはそれだけでも十分に酔えるらしい。いつもよりもほんの少し、ご機嫌な様子でどこかへ駆け出そうとしたその少年を逃すまじと捕らえて、ゾロは彼の腕を引いてビルとビルの間の暗い路地裏に入って行った。 そんな彼に頬膨らませながらナミだって自分が怒られると覚悟はしていたらしい。 しばらくゾロの背をじっと見ていたが、諦めの吐息を漏らして渋々と彼の後を追った。 くるっと振り返ったゾロの顔ノはその怒りのせいか深い皺が眉間に刻まれている。 「いきなり何の話?そんなに怒ることでもないじゃない」 バタバタと手足を動かしていたルフィを放してやると、彼は慌ててナミの後ろに隠れて二人の顔色を交互に伺った。 「なぁ、俺戻ってもいいか?さっきのカラアゲ、ナミが作るのより美味かっ・・・」 「えぇそうね、戻りましょ」 「おい!」 一喝、低い声が響いてナミとルフィは動かし始めた足を止めていた。 「まだ話が終わってねェだろ?」 叱られた子供のように唇をぎゅっと結んで自分を睨むように見上げるナミに、少し口調を和らげてそう言ってみれば、ナミは途端にいつもの気性を取り戻したようでじゃあ何よ、と妙に刺々しい声で尋ねる。 せっかくこっちが多少折れてやればすぐにそれを捻じ曲げてくれるものだから、ゾロにしたって気を逆立てられてしまって、ピクリと上げた眉もそのままに彼はまたドスを効かせた声に戻って言った。 「何よ、じゃねェだろ。最近のテメェは何だ。一体何を不満に思ってんだか知らねェがな。いい加減にしねェといくら俺だって・・・」 「俺だって、なに?」 言葉を遮ってナミはゾロにまた訊く。 臨戦態勢この上ない。 「・・・それ相応のことをしてやるって言ってんだ」 「それ相応って何よ?それを訊いてるのよ。」 ぐっと言葉に詰まって、ゾロは口を尖らせた。 この魔女と来たら、勝気だけならまだしも弁が立つものだからまた手に負えない。 「どうせ考えてないんでしょ?」 口を噤んでしまった男に呆れたような笑みを向けて、ナミは腕を組んだ。 「そんな事だろうと思ったわ。いっつもそうやって考えなしなところがゾロの欠点ね」 せせら笑う女にぐぅの音も出ない。 腹にあった苛立ちは、言葉に出来ないだけにもやもやと広がっていく。 言いたいことを言ってナミにいい加減機嫌を直せと諭してやるつもりだったのに、逆にこの女に諭されて完全に立場は逆転してしまった。 「俺のことじゃなく、今はテメェの話を・・・」 「もういいでしょ?寒いじゃない。戻りましょうよ。ルフィは寒さに弱いのよ」 「だから、そうやって話を逸らすなって・・・───」 引きとめようとした手がスカッと宙を切った。 そこに居るはずだったナミの姿が自分の推測を越えたスピードで身を翻したことに彼女がまた魔法でも使ったのかと思ったが、そうでないと悟るのにそう時間はかからなかった。 彼女の黒いコートの肩を抱いた旧友の姿にゾロの笑顔がピクピクと引き攣っていく。 「・・・このエロコック。どういうつもりだ」 「どうもこうもねェ!二人して出てったかと思やこんなところでナミさんに言い寄りやがって!俺の目の黒い内はナミさんをテメェの毒牙の餌食にできると思うなよ。このむっつりスケベが・・・」 「誰がむっつりスケベだッ!いいからテメェはどいてろっ!俺ァこの女に話が・・・───」 「二人とも、もういいじゃない。えっと・・・サンジ、くん?お店に戻りましょう。手がかじかんできちゃったわ」 赤く染まった指先にハァと暖かい息をかけてナミがぶるっと一つ、体を震わせた。 こんなときこそ魔法を使えばいいものを、何にしたってこのナミって魔女は余計な魔法ばかり使うのだ。 その余波を受けた男はそうとも知らずに「はぁい!」と鼻をのばしてまたナミの肩に腕を回す。 ヘソを曲げたようにむすっとしかめ面になったゾロは楽しげなサンジをぎろりと睨んでヒビの入った灰色の壁をガンッと蹴って「・・・イテェ」と小さく呟いた後にのっそりと歩き出した。 一歩、足を出すたびに荒ぶる胸中を何とかかんとか押さえつけて自動ドアが開き切ってからゆっくりと店内へと入って行く。 一番奥の座敷が今日の飲み会の会場で、一足先にサンジにエスコートされてそこへと上がるナミの後ろ背にまた小さく舌を打ち鳴らしてゾロは一転、早足になって彼らを追った。 乱暴に脱ぎ捨てた靴もそのままに古く擦り切れた畳に乗って、席に戻ろうとすれば、さっきまで自分がいた筈のその場所にナミが腰を下ろそうとしている。 あの女好きの仕業であることは間違いない。 だが、いくら怒鳴りつけてやろうかと思ってみたところで、自分とナミの関係を皆にどう説明すれば良いのかという疑問が未だ頭から消えていないゾロにしてみれば、言葉が見つかるわけもない。 手招きをするくいなと唐揚げにむしゃぶりつく元黒猫の間に空いている席に大人しく座ることだけが今、自分にできる唯一のことのようにも思えて、存外な顔も隠さずにゾロは騒がしい室内の中旧友達を軽く蹴飛ばしても何ら謝ることもせずにその席へと向かった。 「・・・フガッ!?」 拉げた声を上げたのは、ルフィだ。 口中に物を頬張ってなければさぞかし大声だっただろう。 むにっと踏んでしまったものが彼の足だったかと慌てて「悪ィ」と謝ってゾロの顔は途端に血の気を失った。 「・・・ルフィ、てめェ・・・!!」 出ている。 どう見てもふにふに動いているその黒く長い物はルフィの尻尾であることは間違いない。 「イッテェなぁ〜ゾロ、気をつけてくれよ」 そう言ってズボンの上から飛び出してしまった黒い尻尾をルフィが大切そうに持ってふぅと息を吐きかけた。 運悪いことにくいながそれに気付いてじっとルフィとの手元を見ている。 「それ何?」 聞くな、と心で答えてゾロは慌ててルフィの隣に座した。 「さ・・・酒取ってくんねェか」 自分でもわかるぐらいに上擦った声を出してみれば、くいなにしたってもう酒が入っているからか今感じた疑問も忘れてサンジの前にあった日本酒のとっくりに手を伸ばしている。 ───ルフィ!てめェっ!!早くそれをしまえっ! できる限りの小声で細身の体を肘で小突くと、ルフィが涙を浮かべた目でちろっと睨んできた。 「ゾロは尻尾ねェからわかんねェかもしれねェけどなぁ。踏まれたら痛ェんだからな!」 「わかったから、早く・・・」 ハッと気付けばルフィからは酒の香り強く漂ってくる。 心なしか眦も紅く、いつもよりもどこか素直でないというか、とにかくルフィらしからぬ拗ねた目付きで自分をじとっと睨んでいるのだ。 「お、おい。てめェ・・・まさか酔ってんじゃ・・・」 ルフィを人間に変えたのはナミだ。 ナミの魔法でとにかく尻尾を元に戻すしかない。 慌てて振り返って酒を注ごうと構えていたくいなが掛けた言葉も耳に入らずルフィの首根っこを抑えたままナミを呼べば、彼女はサンジの向こうから顔を出して呑気な声で「なぁに」と聞く。 「ちょっと来い!」 帰ってきたばかりだと言うのにまた立ち上がろうとする男にサンジもくいなも唖然として口をぽかんと開けた。 「ゾロ、どうしたの?ルフィくんがどうかしたの?」 「いや、酔っちまったみてぇで・・・とにかく、ナミ!来いって・・・───」 「何すっとぼけたこと言ってやがる、クソ野郎。何でナミさんがそんな奴のために・・・」 ぐいっとナミの肩を抱いたサンジが咥えたタバコを得意げに揺らした。 「・・・ははァ・・・てめェヤキモチ妬いてんのか?」 「ふざけたこと言ってねェで・・・」 「お前にはくいなさんがいるじゃねェか」 とっくりを未だ持って事の成り行きを見ていたくいなが頬を染めて、ゾロの顔を苦くさせる。 その向こうでナミが顔をしかめたことを知れば尚更居心地が悪い。 元はと言えばここに来たからじゃないかと責めたくとも、今のこの状況でケンカ腰になればきっとナミは余計に機嫌を損ねてしまう。 とは言え大体にしてサンジに肩を抱かれてそれを振り払おうともしないナミに腹が立つのもある。 低く放たれた声は騒ぐ旧友達の声にともすればかき消されそうになる。 「・・・───ナミ」 「これが最後だ」 「いい加減にしろ」 不意に眼前が眩く白く染まってゾロはその激しい光に瞳を閉じた。 ************** 「それで猫ちゃん2匹を連れてきたの?」 耳に聞きなれた声が飛び込んできて、途端に我に返った。 立っていた筈の自分はそこに座し両隣の二人は自分を邪魔物として扱うようなそぶりで顔を覗かせあって話を続けている。 「言ってやってくださいよ、くいなさん。そりゃコイツに女がいるって方がおかしいっすけどね。わかったって言われたら女が来ると思うじゃないですか。」 「サンジくんが女の声を聞き間違えるって言うのも珍しいわね。今まで百発百中だったのに」 これは。 ナミだろう。 さっきまでのことが嘘だったのかとも思う。 それとも時間軸でも戻したとでも言うのだろうか。 何にしてもこれがナミの仕業ということは疑う余地もない。 繰り返される会話に試されているかのような気すら覚える。 今、この時ばかりは何故ナミが機嫌を損ねているかぐらい手に取るようにわかるのだ。 またどうせくいなとの事を勝手に勘違いしてしまっているに違いない。 せめてあの夏のように面と向かって感情をぶつけてくれればそれは間違っているとはっきり弁明できるものを、いきなり突き落とされた数分前のこの状況にその先の記憶を持つ自分だけが浮いた存在のようにも思えて釈然としない。 どこかでナミが自分を見ているのではないかと目を配ってはみたが、それらしき姿は視界の範囲には全くないし、見られているとも感じない。 急に回りに目配せを始めた自分を訝しんだくいなが「怪しいわね」と呟いた。 「やっぱり・・・ゾロ、彼女でもできたの?」 まさか、と笑ったサンジを横目で見てから、ゾロがおもむろに口を開いた。 「いちゃ悪ィか」 暖かく、やわらかな光が少しずつ少しずつ。 視界の色を一色に変えていく。 あぁやはりこれはナミだったのだ。 人を試すようなことをされて、だと言うのに苛立ちを感じないのは、あまりにも優しい眩さに言葉を失ったからだろう。 白い光は飽くまでも繊細な輝きを放って、また己の瞳を閉じたいという衝動を覚えさせる。 だがそれをするにはあまりにも惜しく、あまりにも美しい。 まるで一輪の可憐な花すらも思わせる眩い世界につい手を翳して目を細めたままじぃと見入っていれば、やがて己のその手すらも光に溶けて消えていく。 もはや『何かを見ている』という感覚すらも失われて、自分の存在すらも疑わしいその世界の中でゾロはナミの名を呼んだ。 ・・・───ナミ? そこに、いんのか? ゆらっと空気が蠢いた。 次に気付いた時、ループした時間は元に戻されて自分はルフィの後ろ襟を引っ掴み、ナミを見下ろしている。 いや、実際には手に重みはなく。 いるはずだった二人の姿は掻き消えていた。 「おい、何だいきなりぼーっとして。」 ぼけっとしやがってと悪態を吐いた友人は自分の隣ではなく、くいなの向こうに座っている。 ただナミとルフィだけがその場にいないというだけで、さっきまでと何ら変わりない時間が流れていた。 「ナミは・・・」 呟きがサンジの耳に届いたらしい。 一瞬眉を顰めてから彼は突然大声をあげて笑い出した。 「テメェ、マジでそのマリモ頭がどうかしちまったのか?あの猫が居ねェとクソ落ち着かねェとか言うんじゃねェとか言うなよ」 くいなまでもがサンジと一緒になって笑っている。 もう彼らの頭の中から『ナミ』という女は消え去っているのだ。 「・・・そのナミじゃねぇ」 「俺の女がここにいたんだ」 低く言って、ゾロは壁際に無造作に置いてあったコートを掴んで店を出た。 |
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