500HIT踏んでくださった吉野千宏様に捧げます。
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しばらくしてゾロがカチカチ、とシャーペンを鳴らしてからノートを開いて真っ白なページに何かを長々と書いた後でよし、とばかりに一息ついてナミに渡した。

『俺が大学に行かねぇから、もう俺と話したくなくなったか?
 あんたがそう思ってるなら仕方ねーな。
 けど、最後に聞かせろよ。
 俺はあんたが何でそこまで怒ってんのか
 さっぱりわかんねぇ。俺が何かしたか?

 それから、俺はガキじゃねぇ』

ナミが読み終わったことを悟ったのか、いやにニヤニヤしてゾロは顎で返事を早く、と促した。

「べ、別に怒ってるわけじゃ・・・」

焦れったい。
口に出してすぐに反論したいのに。

いつもは端正な文字を少し崩して、流れるようにして書いた返事を、ゾロが脇から覗き込んだ。

『あんたのせい』

間近に迫った彼の顔が僅かに傾いたのは、こんなものじゃ答えになってないじゃないか、と彼が不思議に思ったことの現われだろう。
少し考えた後で、その文字にピッと横線を引いて、ナミはまた違う文字を書いた。

あんたのせい
  私のせい  』

益々もってわからない、とゾロが少し浮かした腰のまま、説明しろ、とノートをトントンと弾く。

あんたのせい
  私のせい
 だって、私が』


「・・・勝手に好きになっちゃったんだもん」

卑怯だ。
彼が聞こえないことを知って、最後の言葉を唇から漏らした。

ゾロは、続きを声にした自分を見て、わからなかったとばかりに頭をポリポリ掻いて、もう一回、と人差し指を立てた。
書け、と言わないところが彼らしい。

きっともう一度、またその瞳でしっかりと見れば、ナミの言わんとすることはわかるという自信があるのだ。

ナミはそうとわかっているから余計に、居た堪れなくなって、急に立ち上がった。

何のことはない、彼らが何かの言葉をやり取りしていると聞き耳を立てていたクラス中の誰しもが、最後のナミの言葉に息を呑んだところだったのだから、教師にしたってそれは同じことで壇上の彼はずり落ちたメガネをくいっと上げて出て行く生徒を責めることもせずにその背を見送った。

カヤが不安げな顔でウソップを見ていた。

聞いていた?とばかりに目だけを窓際の一番後ろにやって、ノートを食い入るように見たまま、一体ナミは何が言いたかったのかと首を捻っている男を伺っている。

コクン、と頷いて、ウソップは冷たい廊下からの空気に冷やされたその席でしばらく考えた後に立ち上がった。

「な、なんだ。君もか・・・?」
今度は生徒が黙って教室から出て行くことなど許さないとばかりに慌てて教師が言えば、ウソップはその言葉も無視して教室の中をツカツカと歩いていく。
辿り着いた席の前で、深呼吸してノートをじぃっと見ていた男のピアスを二回、弾いた。

「ゾロ!」

驚きの眼が自分に向けられている。
座っている彼を見下ろして、ウソップは一瞬震えた手をまた出して、彼のピアスを二回、弾いた。

ちり、ちり、と小さな音が鳴る。

気付けば、教室中の皆が自分と彼を固唾を飲んで見守っていた。

「・・・こりゃお前のあだ名みてぇなもんだって、ナミが言うからよ。いやっ!・・・っていうか、その、だな・・・」

慌てふためいて、両手を振ってその狼狽を顕にしたところでウソップは自分を真っ直ぐに見ていたゾロの眼に気付いて自分を落ち着かせるために咳払いをした。

「今まで悪かった」

腰から上を思いっきり曲げる男の言うことなどわかるわけもない。
ただ、彼は確かにナミが自分の名を呼びながらこのピアスに初めて触れた日、その時に自分たちの隣にいて、どういう意味を持った行為かをわかった上でそうしているということは容易に想像がついた。

けれども、何故今、俺の名を呼ぼうとしているのかがわからない。
ウソップが頭を上げても一体どんな顔をしていいやらわからずに、ゾロが頭をポリポリと掻いて眉を跳ね上げさせていれば、また一人、席を立ち上がった女がいた。

「私たち、ゾロさんの耳が聞こえなかったからって、名前を呼ぶことも躊躇っていたんです」

ウソップの隣に立って、にこりと微笑みながら、ちりちり、とそれを鳴らす。

教室にこの音が響けば、誰かが彼を呼んだのだと。
声の代わりに音が鳴る。
その音が鳴れば、彼が誰かと話している。

正方形の教室の、誰かが話す他愛もない会話を聞いてその声に誰が誰と喋っているかを何となく察知するように、この音が鳴ればゾロが誰かと話している。

級友達の雑然とした空気の中に、確かに彼が溶け込んでいるという証。

「ナミさんだけわかってたのね」

この方法なら、後ろから声を掛けても彼は気付いてくれるだろうし、無言で会話するという一種独特の雰囲気が生まれずに、ゾロがここに居て、ゾロが誰かと話している、クラスの一員としてその空気の中に彼の存在があると、同じ部屋にいる人が共有するそれを彼にも、皆にも齎してくれるということ。

1クラス45人。
たった一人の少女を除いて、皆がようやくウソップとカヤの言わんとすることを悟って、それぞれが顔を見合わせた後に和やかな笑顔を見せていた。

ゾロは何もわからない。
でも、何故かクラスの皆が自分を見て、妙に優しい表情になっていると知って、首を傾げながら左耳のピアスを触っていた。

触れば耳朶に違和感が走る。

ゾロ、と呼びながら彼女が触れたその違和感は、この数ヶ月でいつしか慣れたものになっていた筈なのに、不意に伸びてきたウソップの手が触れた時はまた違う感触があった。
カヤがおずおずと触れたのも違う。

ナミは、もっとピンッと弾いてそれを思いっきり揺らす。

それから満面の笑顔になって『ゾロ』と口を動かす。


こういうのも、人によって違うもんかと思えば、いつしかゾロの口元が微かに緩んでいた。

「ゾロさん」

カヤが向き直ってその指を教室の外へと指した。

行って、と言われたのだと思う。

ゾロは躊躇うことなく席を立ち上がって、一瞬困った顔で彼を止めようとした教師に一瞥をくれてから教室を出て行った。

後ろ手にドアを閉めれば、まだ手の触れていたその扉が微かに震えたことを知る。
ワッと歓声を上げながら、口々に自分を囃し立てる級友たちが各々の椅子を一斉に動かして、横の席の友人と話したり、後ろの席の友人と話したり、一人一人がちょっと動いただけなのに、クラス全員同じことを思って同時に動いたのだ。
手のひらから伝わったその振動が、『頑張れよ』と励ましているような気がして、ゾロは一歩一歩を大きく踏み出しながら彼女の姿を捜していた。



*****************************



「バッカみたい・・・」

冬になって少し色あせてしまった芝生を一本、ぷちっと抜いてナミはそれを風に流した。

何でこんなことになったのか、と記憶をたぐる。

始まりは、たしか・・・そう。
アイツが二週間遅れで新学期に顔を出した時に先生が私にアイツを起こせって言ったから。
それから、つい彼が気になってあれこれ口を出しているうちに。

堪らなくなるほど、無垢な笑顔を見せる彼に惹かれていって・・・───

そんな彼を見もしないで、彼を避けるクラスメートがもどかしくて、色々考えたところで全部自分の一人よがりに終わってしまった。

少しずつ積もっていった恋心と相俟って、彼は自分の言葉なら聞いてくれると思っていた。
でも、それは違っていて。
彼には彼の考えがあって、級友たちだって自分の思い通りにはなってくれなくて、結局空回りもいいところ。

「バカね、私」

プチッ

「・・・でも、アイツもバカだわ」

プチッ

「・・・皆も」

プチッ

風に舞って消えていく草の葉を見ながら、ナミは大きな溜息をついた。

「私が・・・一番のバカなんだけど」

木枯らしがひゅうと吹いて、自分の髪が視界を遮る。
手でそれをかき上げた時、橙色に染まったかのような視界の向こうに彼の姿が見えた。

ゆっくりと、ゆっくりと近づいてくる。

彼は芝の前で一瞬立ち止まって、じぃとナミを見てからまた歩み寄ってきた。

一歩、歩くたびに左耳のピアスが薄曇りの空の下、鈍い輝きを帯びて揺らめいている。

自分の傍らまで来て、口を真一文字に結んだゾロは、腕を組んで見下ろしてから腰を地に着けた。

何しに来たんだろう、と思った自分の顔が曇ったことはわかっていても、笑顔なんて見せられるはずもない。

そう思って入れば、不意にゾロがナミの手を掴んだ。

口を開いて、何かを言おうとしている。

わからない。
言葉のない会話がこんなにも困難なものだなんて知らなかった。
知らないくせに、彼にこうしてきたのは自分。

ナミの瞳にじわりと涙が滲んでいた。


「ゾロ、ごめんなさい」

自分勝手に、自分の思いだけを押し付けてしまって。
あなたのことなんて考えてなかった。
そこにあったのは、ただ彼に好かれたいからとか、自分の好きな人を皆にもわかってもらいたいからとか、そんな単純な理由で、純粋に彼のためを思ってした事なんてなかったのだ。
利己私欲のためだったのだ。

浅はかな自分があまりにも情けなくて、ナミの頬に一筋の涙が伝って落ちた。

ふっと温かな感触が頬に触れる。

ぎこちない手で、それを拭ってゾロが首を傾げた。

何を泣いているのかを不思議に思っているのだろう。

思い出したように彼は、制服の胸ポケットからペンと乱雑に折り曲げられた紙を取り出して、『どうした』と書いてナミに見せる。それをすぐにナミに手渡そうとして、しばし考えた後にもう一言、書き加えてようやく少女の手にそれを握らせた。

『さっきは何だって?』

言えないわよ。
ううん、言いたいの。
私の気持ちを知って欲しい。
だけど、言ったら彼がどんな顔するかが怖い。
何よりも、彼に今までしてきた事は全て彼に好かれようとした打算的な自分がいたから、その下心を知られることが恥ずかしい。
だから、言えない。

ナミは握らされたそれをゾロの胸元に突っ返して、もう泣かないように、ときつく噛み締めた唇を開くこともなく彼の瞳をじっと見た。


その瞳が徐々に苛立っていくのがわかる。

眉間に皺を寄せて、口をへの字に曲げて。
ゾロ、あんたってぶっきらぼうなくせに、いつも寝ているくせに、案外表情豊かなのよね。

胸がまたきゅんと締め付けられて、ナミは彼から目を逸らした。

彼が焦れたようにその手にペンと紙を強引に持たせようとしても、少女は首を振るばかりだ。
しまいには、根負けしてじゃあいいとばかりにポケットにペンと紙をしまいこんで、ゾロはナミの手を引いて立ち上がった。

行こう、とばかりに手を引く。
彼女の体はあまりにも軽くて、鍛えた自分が少し力を入れただけで、ナミはふわりと体を浮かせて次の瞬間にはもう傍らに立っていた。

ツンと鼻をついた空気を木枯らしが揺らす。
オレンジ色の髪が揺れて、伏せられた睫の向こうで涙を浮かべて、それでももう泣くまいと柔らかな唇を固く結んでいる女が、いやにもどかしく感じて、ゾロはその頬を両の手のひらで包んで、顔を上げさせた。
驚いたナミの瞳に、怒りを顕にした男の顔が映る。

男の唇が動いた。
さっきとは違う。
ひどく、ゆっくりと、動かしている。



『ず』

『る』

『い』




お前が言ったんだろうとばかりに、意地悪な笑みを浮かべたゾロが、またポケットから取り出した紙とペンをナミに渡す。
もう今度は嫌とも言えなくて、ナミはそれを受け取った後で少し躊躇いながら『本当に何でもないから。心配してくれてありがとう』と書き込んで、彼に渡した。

すぐさまペンを走らせた紙の上に『俺はてめぇに言いたいことがある』と、手のひらを台にして書いたせいか、ひどく乱雑な文字が書かれていた。

「・・・言いたいこと?」
ナミがそれを声にして呟くと、ゾロが一つ頷いてから頭を掻き毟ってから今度は何度も何度も手を止めてはそれをようやく書き終えて、ナミに見せた。

『お前と話してるのは嫌いじゃねぇ』

そしてまた一文。

『そろそろ機嫌直してくんねぇか』


ナミは濡れた眦も忘れて瞬きを繰り返すと、耳まで真っ赤にしたゾロが口を開いて、何かを言おうとしてまた閉じた。

彼女の手にあった紙を奪い取って、短く簡潔に書いた三文字を、バッとナミの眼前に突きつけて、ゾロはそのままぷいっと顔を背けた。

「本当?」

聞き返しても返事はない。
おそるおそる手を伸ばして、彼のピアスを二回、弾いた。

ゆっくりと顔をまた戻したゾロが頭をガシガシ掻いて、その紙をナミの手に握らせる。

くしゃくしゃになった紙を、ナミはまるで宝物のようにそっと胸に抱き寄せて、また一つ涙を流した。




ゾロは、そんな彼女の顔を見るのが初めてで、まさか泣かれるとは思わなくて、けれどもナミがあまりにも嬉しそうに頬を緩ませていたものだから、しばらくしてニッと笑って彼女の肩に手を回した。

教室では皆が自分たちを待ち構えているだろう。

そうしたら、この女はまた顔を真っ赤にするか。

いつもみたいにキャンキャン騒ぐか。

どっちにしたって、その顔を、くるくる変わっていくその顔を俺に向けてくれるだけでいい。



想像して、肩を抱かれて耳まで赤くなっているナミを見やって、ゾロはまたその時を思って笑った。



人生って奴ァ、案外不平等ってわけでもなさそうだな。


心の内で呟いて、彼女の細い肩を抱き寄せた。





〜Fin〜
●ザンゲ●
吉野千宏さま、いかがでしたでしょうか?
今まで度重なる失礼、無礼たくさんたくさんいたしてしまって・・・
サイト名間違えるわ、お名前間違えるわ、バナー表示遅いわ・・・
この場で改めてお詫びさせてください(;;
それでもリクエストしてくださった吉野様のご期待に添えようと
何とか頑張って書いてはみたのですが・・・
ダメでした。(撃沈
えっと・・・このお話は『耳が聞こえないゾロ』というテーマだったので
持病のメニエル病の発作中のことを思い出しながら書いてはみたのですが
やっぱりうまく表現ができずじまいで。。。
あぁこんな私を見限らず・・・どうか
・・・どうかッ!!
これからもよろしくお願いいたしますm(u u)m
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