800HIT踏んでくださった真牙様に捧げます。
雪晴まで



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「それで、この町に?」

何とも筆舌に尽くし難い妙味を醸し出したナミの手料理を、涙を堪えながら口に運んでいると、当のナミは「まずっ!」と一言言ってそれに手を付けようとしない。
けれどもわざわざ作ってくれたのだからと必死にそれを喉の奥に流し込んだビビを見て、「お口に合った?」とナミは自分の皿までビビの前に置いた。

もうここまで来たら今更「私も不味いです」なんて言えなくて、笑顔を引きつらせたままで懸命にそれを片付けようとするビビの前で、ナミは手持ち無沙汰になったのか、その男との出会いを話してくれたのだ。

それはホストクラブなんて行ったこともないビビにとっては異世界の話であって、けれどもナミがあまりにも嬉しそうに話すその笑顔は、珍妙な料理の味も忘れさせて、話が終わる頃には皿に上に残されていたものも何一つ無く、後には頬を染めて話を頭の中で膨らませたビビがいた。

「素敵。好きな男の人を追って、わざわざ自分の地位を捨てるなんて」

「・・・会社の方はね。私と競ってたその男がどんどん自分の知り合いを入社させたし。もう私の色に染められないってわかっちゃったから。未練はないわ。潮時というか・・・アイツとは関係ないわよ。」

う〜ん、と首を捻ってからナミがニッと笑った。

「つまり、私はまだ人の上に立てるような人間じゃなかったのよ。確かにこんな世間知らずの小娘がCEOだったら、社員も心許ないわよね」

「そう、ですか?ナミさんはすごく魅力的だし・・・その・・・」

「あぁもちろんわかってるわ。私だってここで終わろうとは思ってないわ。今は勉強の時!私はもう次の目標決めてあるの。次は失敗なんてしないわ。その時にはビビにも手伝ってもらおうかしらね」

本当にそんなことを軽く言っていいのだろうか、と思うけど、でもナミがあまりにも自信たっぷりに言い切るものだからビビはついつい勢いに負けて頷いてしまった。

「じゃ、今日の人探しっていうのは、その彼を探して・・・?」

「そうなのよ」

数年経って会社に見切りをつけたときに、彼の言葉を思い出したのだ。

この小さな町まで来たら、すぐにでも見つかるかと思って休日にここを訪れてみたら、古い寺のあるこの町には老舗の和菓子屋がわんさかあって、そのくせ彼の名字だってわからない。
ロビンに訊けば教えてくれるかもしれないのだが、自分のフルネームも教えずにその言葉を残した彼からの挑戦状にも思えて、ナミは妙に沸き立つ胸の内を悟ると共に身辺整理を済ませて早々にこの町へと越してきたのだ。

「ゾロさん、ですか・・・聞いたことがあるようなないような・・・」

「あぁいいの。もし知ってても言わないで。私、結構楽しんでるのよ。」

言葉の通り、ナミは笑みを崩さずに言った。

「こういうのってゲームみたいで面白いと思わない?もうこうなったら本腰入れてアイツを探し出してやろうと思って・・・で、この町に来たってワケ。それにね。この町も気に入ってるの。海も見えるのに山もあるし。夏には海水浴もできるんでしょう?」

「え、えぇ・・・でも、本当にいいんですか?私、何かお手伝いした方が・・・」

「ありがと。でも心配しないで。その内見つかるわよ。私とアイツに縁があるなら、ね」

ウィンクを残して、ナミは冷蔵庫から缶ビールを取り出した。

ビビにも飲めとそれを手に持たせて、グラスも取り出さずにそれをさも美味しそうに飲み干していく。

「ナミさん、その人・・・本当にこの町にいるんでしょうか?もしかしたらまだ東京に・・・」

「いるわ。」

確信めいた瞳の輝きにビビが首を傾げると、ナミがこう付け足した。

「アイツはそういう男だと思うから。」




*******************




「あんた、本気でそのスーツしか持ってないの?」

三度目に店に顔を出そうと思い立った時に、自分からどうこうしようとしないこの物珍しいホストにわざわざ自分から同伴してやろうという気になって、ナミは会社を早々に切り上げて約束の場所へと向かった。

ロビンがこの男がよく迷子になると言うから、彼が迷わずに来れる駅前で待ち合わせをして少し浮かれたような足取りでそこへ向かえば、ぼーっと突っ立っていた彼は、以前見たスーツと全く同じ物を着ている。
自分とのデートなのに、と客であるナミに言わせるその男にもしやと思って聞いてみれば、男は全くもって当然とばかりに「これしかねぇ」と言い放った。

「バイトだしな。歩合制だからそうそう高ぇスーツ買えねぇ。それに使っちまったらなんのためにあそこで働いてるか意味がわからなくなるじゃねぇか。」
「・・・あんた、本当にあの店でよくやってけるわね。っていうか、本当にホストなんてバイトできるわね。」

そのスーツすらも、あの店の先輩から譲り受けたものだと言うのだから、頭痛すら覚えてくる。

「しょうがないわ。私が買ってあげる」

「いい。女になんかに・・・」

「あんた、自分の職業忘れてない?」

言葉に詰った彼の手を引いて、ナミはセレクトショップに入って彼に黒いスーツを1セット、購入して満足げに笑った。

「パリッとしたわね。今日は私とのデートなんだから、それぐらいじゃないと駄目よ。」
「金は絶対ェ返す」
「何言ってんのよ、私これでも社長よ?その上一人身で少々蓄えはあるんだから、有難く受け取っときなさいよ」
「うるせぇ。俺が返すって言ったら、返す」

頑固な奴。
もっとおねだりしたっていいのにね。

それに私にうるさい、ですって。

お客様に向かって何て口の聞き方かしら。

「あんた、そういう態度直さないといつまで経っても売り上げ最低よ?実家のために頑張るんじゃなかったの?」

言い過ぎたかと思わせるぐらいに拗ねたような顔をした彼に、ナミが手を差し出した。

眉をピクンと上げて、その手をじっと見たあとでようやく自分が何を求められているか気付いたのか、その腕を渋々と出していく。

絡ませた腕に寄り添うように顔を預けて見上げれば、ゾロは耳まで真っ赤になって歩調を早めた。

「ねぇ。私はヒールが高いのよ。そんなに早く歩かないでよ」
「そんな靴履いてる方が悪ぃ」
「それが客に向かって言う言葉?」

歩調を緩めた男に、またコツン、頭を預けてナミが言った。

「あんたって、ほんと・・・変なホストね。最低限のことだってできてないんだから」
「お前だって」

酒の香りを纏った人たちが横を通り抜けていく。
人ごみの中で不意に足を止めた男が自分の腕に寄り添う女を見て、口の端を上げた。

「ホストにはまるような客には見えねぇ。何で、俺をこんなとこに誘ってんだ?」

パチパチと瞬けば、ネオンに照らし出された彼の顔がいやに優しく感じて、ナミはいつしか手を離して考え込んでいた。

「・・・そうね。私、そういう人たちって嫌いだったのに・・・あんたがホストっぽくないから、かしら」

ハハッと笑って、ゾロが白い手を取った。

「んじゃ、ホストとその客っぽくねぇ俺らにはこっちだ」

ぎゅうと握られたその手からは、腕を絡ませた時よりも彼の体温を感じる。

白い吐息が浮かんで消えて、その先の握られた手をじっと見ているとゾロは焦れたようにその手を引いた。


「何か食わせてくれるんだろ?同伴ってのぁ」
「・・・あんた、もしかして初めて?」
「俺みてぇなのに奢ってくれるような酔狂な客はあんただけなんでな」


ナミはその言葉に、自分だけがこの男のこの姿を知っているのだと悟って、握られたその手で彼の指にその細い指を絡めて、そして何とも言えぬ無邪気な笑みをその口元に浮かべてしまった自分を知った。

優越感とでも言えばいいのだろうか。

それとも、独占欲だろうか。

女の相手をして、その女をときめかせるような職業をしている男にその心を持ってしまうのは、一番避けたかったことなのに。

もう駄目だ。

きっと彼のこの笑顔を。
他の女が知ってしまった時に、自分は激しい嫉妬にかられるだろう。

でも、何という心地よさだろうか。

それすらも忘れてしまっていた自分がいたのだ。

一人の人間に心を奪われて、だが、その悩みこそがとてつもなく楽しく感じる。

そんなこと、ずっと忘れていた。


この男が思い出させてくれたのだ。


「・・・あんた、やっぱりいいホストの素質あるかもしれないわ」

「いや、俺にゃ向いてねぇ」

「だって」

言いかけて、ナミは握られたその手をじっと見た。

人ごみの中をはぐれぬようにか、絡められた指の間で歩調の遅くなったナミを気遣うように不意に力の込められたその手は、初めて見た時と同じようにゴツゴツしていて、それでいてすごく暖かい。

(こんなにも、私の心を奪う術を知っているじゃない)

言葉に出さずに見せられたその気遣いこそが彼の全てで、それを知ってしまったらきっとどんな女だってこの男に惚れてしまう。

警戒していた自分にしたって、普段はぶっきらぼうな彼のこの優しい手にもう胸の内に嬉しさが舞い上がっているのだから。

「俺には、向いてねぇな」

区切るように呟いて、ゾロはピタッと歩みを止めた。

どうしたのかと首を傾げると、振り返ったゾロは真っ赤な顔で「こういう事誰にでもできる奴がその『いいホスト』って奴だろ」と言う。


「・・・誰にでもできない?」

「できねぇな」


照れ隠しか、ふんと鼻を鳴らしてゾロがまた歩き始めた。

くいっと、ナミの手を引いて先を行く。



「私も、かしら」


こういう職業の男だからって、お金使ってあげて───この男の時間をお金で買うだなんて。
他のホストなんて知らないけど、この人じゃなかったらそうは思わなかったかもしれない。


「私も、あんただから・・・かしら」

「俺は別にあんただからって言ってるわけじゃ・・・」

そう言って、あぁもう、と頭をガシガシ掻いたゾロは、その後で取り成すようにコホンと一つ咳払いした。

「そうかもな」


耳が赤いわ。

ちゃんと言い直してくれたのは、客である私への気遣い?

違うわよね。

違うって思っていいのよね。




繋がれた手を追うように、少し歩調を早めたナミがピタリとその腕に寄り添うと、彼はまた一つ咳払いしてから強く強くその手に力をこめた。


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