ゾロっていう人のことは知ってたんだけど。

まさか、こんなことになるなんて思ってなかったのよね。




STEPPIN' UP★

1




客観的に自分を見てみる。

・・・世話好きとは思わない。

ましてや、人の恋路をどうこうするなんて、彼氏もいない自分が出来ることでもない。

でも、頼まれると断れないのが私の悪い癖。

今日にしたって何で私がこんなものを持っているのか不思議で堪らない。



溜息をついて手に持った淡いピンク色の紙で包まれた箱に目を落としてナミは大きな溜息をついた。

(そりゃ、私が言ったわよ。今年は誰にもあげないって・・・)

だからって、じゃあ自分の代わりにチョコを渡してくれって頼まれるなんて。
こういうのって、代理人を立てられるようなもの?

大体ね、自分で渡すぐらいの度胸もないなら、その人のこと本当に好きじゃないのよ。

「・・・って、何で言わなかったのかしら」

ブツブツと呟いてオレンジ色の髪を揺らした。
放課後の廊下で一人佇んで頭を振る少女はしばらくその手に持った箱を見つめては溜息をつき、ドアに手を掛けては下ろし、躊躇いのままに時を過ごしていたが、ようやく決心がついたようで「よし」と一つ自らを奮い立たせる言葉と共に勢い良く白い扉を開けた。

今日はバレンタインで、校舎の中はどこか甘い香りを漂わせている。
この教室にしたって例外ではなく、扉を開けた途端に揺れた空気がチョコレートの甘い匂いでナミの鼻をくすぐった。

扉を開けた音がいやに大きく耳に残って、しゅんとしぼんでしまった心にナミは足音を忍ばせてその教室へと足を踏み入れた。
後ろ手にドアを閉めながら教室の真ん中の席で一人、机に突っ伏している男を見止めて息を呑む。

その男子の名は知っている。
いや、顔だって知っている。
隣のクラスなのだから否が応にも耳に入ってくるのだし、目につく。

喋ったことはないのだけれど。
まさか級友の代わりにチョコを渡すことになるなどと露ほども思わなかった。

相手にしたって自分が隣のクラスにいることぐらい知っているだろう。

今まで顔だけは知っていたという相手に、こんなきっかけで初めての会話をするということが妙に苛立たしいし、その上相手は誰がチョコを持ってくるか聞いてないと言う。
他力本願な級友は人伝に彼に教室に残っていてくれと頼んだらしく、彼は自分の姿を見たら、自分こそが彼に気のある女なのだと思ってしまうのかと思えばいやに気恥ずかしい。
その後ですぐ誤解を解くにしたって、一瞬でも誤解される役目を担ってしまったのかと心中に後悔の念ばかりが浮かんで、ナミはまた小さく頭を振った。


つかつかと目立つ緑の頭に近寄って行けば、乱雑に並べられた机の角に足をぶつけてしまって、それがまた苛立ちに変わっていった。


「ロロノア・ゾロ・・・起きて」





「起きて」





「・・・───起きなさいってば!!」

彼の枕になっている机の天板を思いっきり叩くと、手の平に熱い痛みが走った。
教室の中に響いた自分の声があまりにも大きくて人の代役だと言うのに何故か緊張してしまった心は、大きく脈打って落ち着けといくら言い聞かせても鼓動はどんどん早くなっていく。

それと言うのもこの男が──ロロノア・ゾロという男がいやに緩慢な動きで顔を上げたから。

未だ眠そうな瞳なのにどこか深く鋭い光が輝いている眼差しに一瞬、息を呑んで紡ぐことのできない言葉に開きかけた唇を噛み締めた。

のそりと立ち上がって、彼は「あァ」と呟いてふと、視線を落とす。

その全てが余裕ぶっているものだからこっちが落ち着かない気持ちになる。


「これ・・・」

ふぁと一つ、大きな欠伸をしてゾロは綺麗にラッピングされた箱を手に取った。
気だるいのか頭を掻いて眉を寄せた男は面倒そうな面持ちを隠すこともなく、ポリポリと頭を掻く。いかにも無骨そうな大きな手に持たれたピンク色の箱は、彼の身体の中心でぽつんと浮いていて、それが傍目にあまりにも不釣合いなものだから少しだけ張り詰めていた心が解れて、ナミは僅かに口の端を上げた。

「それね、私の・・・」

「話は聞いてる」

「・・・そ、そう?じゃあ・・・」

どうしたことか自分のことじゃないのに、広い教室にただ二人きりというこの状況のせいだろうか。

沈黙がいやに重く感じて、ナミは次に何を言って良いかわからなくなってしまった。


夕焼けに染まった空からは赤い太陽が教室の中にいくつもの陰影を作り上げて、まるで自分達だけが今、世界から切り取られてしまったかのような錯覚すらも覚えてしまう。
ピンクの箱はその片鱗を黄色く浮き立たせて、彼の瞳を一身に受けていた。

長いような短いような、不思議な時間が確かにそこにあって、自分が寸断して良いとも思えない。

(・・・別に。私はビビの代わりに・・・──)

あの子が、自分だと恥ずかしくて渡せないって言うから・・・
こういうことに限っては私を頼らない級友だと思っていたけど、でも他ならぬビビのためだもの。

頭を小さく振ってみたら、私よりも背の高い彼がビビの気持ちの詰まった小さな箱から目を上げて今度は私をじっと見つめる。



彼の左耳につけられた3つの金色のピアスは夕日を受けて橙の色に染まっていた。



ガタッと大きな音がして彼は机の横に掛けられた鞄を無造作に引っつかむと、放り込むようにして箱をその中に入れた。

「・・・あんまり・・・───」

「え・・・?」


最後の言葉は、こんなにも静かな教室の中にいると言うのに、耳まで届かなかった。

聞き返してみたというのに、彼は鞄を肩に掛けるなり空いた手をぽんと私の頭に乗せて、振り返った時にはもう白い扉をさっさと開けていた。

「何て言ったの?」

大きな声でその背に問いかけてみたけれど、まるで聞こえていなかったようで、後には去っていく彼の足音だけが教室に返ってくるばかりだった。




**********




「ど、どうでした?ナミさん」

「どうって・・・渡したわよ」

隣の教室なのだから、会話はもしかしたら聞こえたかもしれない。
けれども、あの男ときたらほとんど喋らなかったし自分にしたって何だか雰囲気に気圧されてしまってほとんど声を出すこともないままに彼は何事か呟いて教室を出て行ってしまったのだから、いくら人気のない放課後とは言えビビの耳には何も聞こえなかったかもしれない。
そう思い直して、ナミは「話は聞いてるって言われただけよ」と付け足した。

「そう・・・」

どことなく気落ちしたような小さな声で言って考え込んでしまった友人を慰めようと「でもちゃんと受け取ってくれたわよ」と言うと、ビビはパッと顔を上げた。

「あ、あの・・・受け取ってもらえたなら、いいの。それで・・・ナミさんは?」

「私?私が何?」

「ナミさんの目から見て・・・ゾロさんってどうかしらって思って・・・───」


そんなこと言われても・・・

さっき初めて会話した相手よ。
それも二言、三言。

そんな相手のことをどう思うかなんて。

あぁ、自分の選んだ男に自信がないのね。

何たって世間はバレンタイン一色で、まるで女の子は絶対に誰かにチョコレートをあげなきゃいけないような空気が校内だけでなく街中に漂ってるんだもの。

あげてから正気に戻っちゃうのね、きっと。


「・・・いいんじゃない?」

「やっぱり?ナミさんはそう言うと思ってたの」

「何よ、そのやっぱりって。まぁ・・・ビビがああいう男が好きだとは思わなかったけど。ちゃんと待っててくれたんだし──寝てたけど。チョコだって受け取ってくれたんだもん。いい奴か悪い奴かで言ったら・・・悪い奴じゃないと思うわよ」

「私が好きなんて・・・──」

慌てて口を押さえたビビを見て、ナミは途端に眉間に深い皺を寄せた。

口を押さえたということは、今このビビの唇から漏れかけた言葉は自分に聞かせてはいけない言葉ということだ。

しまったとばかりに上目遣いに自分を見る友人に顔を寄せてその瞳を射抜くように見据えて「ビビ?」と語尾を上げてみれば、青い髪を懸命に揺らしてビビは首を振った。


「ううん!な、何でもないわ。」

「ビビ、どもってるわよ。私に何か隠し事してない?」


ついさっき、隣の教室では沈黙に緊張したと言うのに。

今の沈黙は嫌いではない。

何かを隠している級友の口から真実が語られることをただひたすら待つ。
時間が経てば経つほどビビの顔は焦りを隠せず、泳いでいた目に諦めの色が濃くなった。

「おかしいと思ったのよね・・・あんたが私にチョコ代わりに渡してだなんて。あんたなら自分で渡そうと頑張るじゃない?」

「そ・・・そんなことないわ。私だってその・・・恥ずかしくて!そう、恥ずかしいんだもの。ゾロさんと話したことないし・・・」

「それだけじゃないわよ。アイツも言ってたのよ」

「・・・ゾロさんが?そんな・・・言わない約束だって・・・───」

ビビはそこまで言って開いた唇を止めた。

目の前にいる友人はその髪と同じオレンジ色の光を受けて口の端を上げていく。

してやったとばかりに腕組みをしたナミに「全部白状しなさい」なんて命令されて、ビビは涙目になって大きく肩を落とした。




**********




寒い季節はどうも苦手で、制服の中にはセーターだって着ているのにナミはその上からまたジャージを着て袖で覆われた指先に吐息を吹きかけた。
暖かいのも一瞬で、何で自分がこんなところにいなければいけないのだろうと思うのだけど、とにかく昨日の件であの男の誤解を解かなければ気が済まない。

隣のクラスは午後一番の授業が体育だからちょうど良い。
この体育館に続く渡り廊下で待っていれば、目的の男は必ず通るだろうし、大体いつも彼と一緒にいる男子も一枚噛んでいるというのだから二人まとめて絞ってやらなければと意気込んで寒風吹きすさぶ狭いコンクリートに簡素な屋根がつけられているだけのその廊下でナミは手を擦っては息を吹きかけ、彼らを待っていた。

幾度目かの木枯らしが吹いた時、昼休みの終わりを告げる予鈴が校内に響き渡って、体育館でバスケをしていた生徒達が慌てて走っていく。

喧騒が校舎に消えて、ポツンとその場に立ち尽くしていれば何となく馬鹿馬鹿しい気がしないでもない。

(放課後にしようかな・・・)

でも放課後だと、うちのクラスの担任はHRの話がいやに長くて隣のクラスの人達がまだやってるとばかりに笑いながら帰っていく様を羨ましく思うことがほとんど毎日のことで、ビビに聞く限りじゃゾロって奴はいつもすぐに帰ってしまうと言うし。

この昼休みを逃したら、5時間目と6時間目の間の短い休み時間に彼を捕まえられるなんて保証はない。

(大体、何で移動教室ばっかりなのよ。誰?時間割組んだの・・・──)

寒さに口を尖らせて、八つ当たりにも似た気持ちでどうでもいいことに考えを巡らせる。

あと5分後には本鈴が鳴って、自分は授業に遅刻して先生に怒られる羽目になる。

(5時間目が体育だったら普通、もっと早くに来るわよね。一体何してんのよ。またどっかで寝てるんじゃ・・・)

昨日目にした彼の姿を思い出して、もしやと疑念を胸に抱いていると、不意に騒がしい足音が聞こえてきた。



「ゾロ!早くしろっ!今日こそお前に勝ってやるからなっ!」

そう言って元気良く開放されたままの扉から飛び出てきた黒髪の少年は、3段あった階段を一気に飛び降りて、焦れたようにもう一度「おい」と後ろに向かって声を掛けた。
後からのっそりと現れた男はまだ口を動かしていて、ナミはついに苛立ちを抑えることができなくなって一声、「ロロノア・ゾロ!」と大きく彼の名を呼んだ。

ここで自分が寒さに身を晒して待っていたと言うのに、この男は今の今までのんびりと教室でご飯を食べていたのかと思うと腹立たしくて当然なのだ。

「おっ。お前、ビビの・・・ビビの・・・えっと何だっけ?名前」

「あんたがルフィね!?」

首を傾げて屈託ない笑顔で笑ったルフィが突然金切り声を上げて、飛び退った。




「い・・・・ッてェェェェ!!お、思いっきり踏んだな!」

「大げさね。こんなにスレンダーな私の体重なんて全部かけたってそんなに痛くはないでしょ?」

「でも重かっ・・・」

「うるさいわねっ!あんたにも怒ってんのよ、私は!!」

今度は頬を両側から抓られて、ルフィは言葉にならない言葉で必死に抵抗した。



「あんたもよ、ロロノア・ゾロ!あんた達ね・・・」

まるで他人事のようにつまらなそうに見ていたゾロを睨んでようやく胸に溜めていた文句を吐き出そうとすると、数人の男子が何事か話しながら渡り廊下に現れた。
体操着に着替えた彼らは、このルフィとゾロのクラスメートなのだろう。
ちらちらとナミを見ては嘲笑にも思える笑みを顔に浮かべて通り過ぎていく。
最後の一人がゾロの肩をポンと叩くものだから、もしやこのクラスメート達も自分を騙すことに加担したんじゃないかと思えば顔は熱くなっていて、ナミは自分よりも背の高い男の後ろ襟を捕まえるなり、上履きのまま渡り廊下から校庭へと出た。

校舎と体育館に挟まれた道をまっすぐ行けば、突き当たりに体育館下の駐輪場へと続く階段がある。

そこまで来て、駐輪場は日陰で年中寒い場所だと思い出して階段の一歩手前で歩みを止めた少女が振り返ると、半ば引きずられるようにして付いてきた二人の男は一体何事かと首を傾げていた。


「昨日のこと・・・聞いたわよ。一体何なの?人のことバカにして・・・」

「昨日って何だ?ゾロ」

「てめェがろくでもねェ事言い出すから俺にまでとばっちりが来るんじゃねェか」

呑気な会話にナミは顔を引き攣らせた。



昨日。


ビビの様子がおかしいから問い詰めてみたら、バレンタインに乗じてナミに男を紹介しようなんて計画だったのだとビビが申し訳なさそうに言った。
隣のクラスにはルフィという人がいて、その人がいきなり持ちかけてきた話なのだと言う。

『ルフィさんが絶対ナミさんはゾロさんのこと気に入るからって』

近くにいればいるほど、ナミは魅力的でビビはそんな友人を誇りに思っていた。
美人だし、頭も良いし、友人の自分のことを気にかけてくれて本当に文句のつけようがない。それだけに、どうしてナミに彼氏がいないんだろうという疑問は、次第に膨らんでしまいには皆見る目がないなんて一人、焦ってはナミにぴったりの男子はいないかなんて心の中でこっそり目に入る男子生徒の選別をしていた矢先に、突然、隣のクラスでいつも騒ぎの中心になっている男子が声を掛けてきたのだ。
黒髪の少年は自己紹介もせずに突然『ナミって奴と一番仲良いのお前か?』なんて笑った。

ナミと彼の友人のロロノア・ゾロをくっつけたいと思っていると言って、あまりに彼が無謀な計画を持ち出したものだからいきなりどうしてと思ったのに、でも自信に溢れた言葉につい呑まれてしまって、ビビはじゃあ目前に迫ったバレンタインを利用したらどうかと持ち出してみたら、ルフィは一も二もなく了承した。

『じゃあ・・・何?今日のアレは私がアイツのことを好きだから呼び出したってことになってたわけ?』

『・・・えっと・・・私もゾロさんとは直接話してないから・・・でも、ルフィさんから聞いてるとは思うんだけど・・・ナミさんと同じで聞いていなかったかもしれないし。』

言ってから、ビビは心底申し訳なさそうに頭を下げた。
いざ、その時になって隣の教室で自分達が計画した通り事が進んで、と考えると何だか心配よりもナミを騙したことへの罪悪感が大きくなっていたのだろう。

『・・・ビビはそそのかされただけなんでしょ。そのルフィって奴に。』

そうじゃないけど、と小さく言ってからビビはまたごめんなさいと頭を下げた。



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