STEPPIN' UP★

3




ようやく一人になってから鞄から財布を取り出して時計を見れば、購買はもうパンの種類もそう残っていない時間になっている。
昼休みも開始して10分もすればお目当てのパンが買えない。
弁当なら尚更、何だか微妙に不味そうな物しか残っていないのだ。

(どうしようかな・・・外のコンビニに行ってもいいんだけど・・・)

裏門を出れば目の前にコンビニがある。
校則で禁止されていても、何でも揃っているコンビニはこの高校の生徒にとっては有難いもので、教師だって同じことを思っていたりもするのだろう。
鉢合わせしたら小言を少し言われるだけで罰則があるわけでもない。
でも、この寒さの中にわざわざ校舎から出るのもどうだろう、と考え直してナミは購買へと向かった。

地下にある購買はいつ来たって寒々としている。
放課後にはいつも同じ三年生達が、据え付けられている簡素な机や長いすを陣取ってはもう閉店してしまった購買の横にある自販機でジュースやパンを買って、長時間話し込んでいるのだけれど、それすらもナミにとっては信じられない。

幼馴染のノジコがその顔ぶれの中にいなければ、決して顔を出すこともないのだけれど、何となくノジコに会いたくなる時はこの購買に足を運んでしまう。

(そういえば、最近会ってないわ・・・)

階段を降りて行くと、既に学生達でごった返しになってしまった購買は放課後のひっそりと冷たい空気を帯びた場所とは思えないほど熱気に包まれていて、ナミはこれなら寒くっても放課後の方がよっぽどマシだと心中呟いて空いた長椅子の端に腰掛けた。

教室で誰が待っているわけでもないし、昼休みは一時間もあるのだからある程度、人がいなくなってから余ったパンでも買えばいい。

片肘ついてじっと見ていれば、次第に人の数は減っていく。

「ナミ!」

ぽんっと軽く肩を叩くのは、よく知る幼馴染の彼女の癖で、声を聞かぬ内からナミは満面の笑顔で振り返った。

「ノジコもパン買いに来たの?」

「ううん、校章なくしてさ。担任がうるさいんだ。でも何か買おうかな。あんたこそ珍しいじゃない。いつもお弁当じゃなかった?」

「違うわよ。いつもは朝にコンビニで買ってくるんだから。今日はちょっと寝坊して買う時間なかったの。」

幼稚園に入る前から母同士が仲が良くていつも一緒に遊んでいた気心知れたノジコの前では自分を隠す必要もない気楽さを覚える。それと同時に、勘の鋭い彼女は自分が少しでも思うことあるときは「一人で悩んでたら何も解決しない」なんて姉御肌な性分を見せてくるのだ。

「めっずらしい。あんたが寝坊?昔はあたしを起こしてくれてたじゃない。朝は強いんだってあれだけ自慢してたくせに」

長椅子の真ん中まで移動すると、ノジコはどうもと言いながらナミの体温残る場所に腰を下ろして明るい笑顔をナミに向けた。

「最近、何となく寝れないから・・・」

「寒いもんね。あんた、寒がりだから」

そう言って、今日も制服の上にジャージを着込んでいる幼馴染の袖口をついっと引っ張ると、ナミは頬を膨らませて「そうじゃないわ」と小さな声で反論した。

「ふぅん。じゃあ何?ま、あんたの事だから今月のお小遣いが少なかったとかそんなところ?大体あんたはさ、不満を胸に溜め込み過ぎるんだよ。たまには愚痴んないとストレス溜まっちゃうだけだよ。」

「お小遣いのことなんか・・・あっ。そういえば今月の分貰ってない!・・・ンもう、お母さんってば私から言わないとくれないんだから・・・」

「ベルメールさんらしいね。」

見知ったナミの母の顔を頭に浮かべたのか、ははっと豪快に笑ってから、ノジコは途端に真摯な面持ちになった。


「・・・けど、何かあるなら言いなよ。あたしで良ければいくらだって聞くから。」

「別に何もないけど・・・何?そんなに元気ないように見えた?」

「あんたがお小遣い貰い忘れたなんて変だって言ってんの!」


ツンッと細い指で額を弾かれて、ナミはおでこを抑えながら口を尖らせた。


「それとも・・・あたしにも言えないこと?・・・へぇ。男?」

「お・・・ッ!?男のことなんか考えてないわよっ!私はノジコみたいに男のことばっかり考えてないんだから」

「何言ってんの、ナミ。あたし達花の女子高生だよ。彼氏が欲しくて当然じゃない」

「か、彼氏なんて・・・彼氏とかそういうんじゃないわよ!」


言ってから、にやにやと笑うノジコに眉を顰めると、幼馴染は全てわかっているからとばかりに大きく何度か頷いてから「やっぱ男か」と勝手に得心している。

「違うってば・・・もう。そういうのじゃないの。大体・・・ノジコ、笑わないって約束してくれる?」

念を押して、ノジコが勿論と軽く受け取っているのがいまいち不安なのだけれど、でもあのバレンタインから急に近付いたゾロに対して、実は不満も愚痴も山ほどあって、かと言ってビビは今ルフィに夢中でゾロの名を自分が出せば「ナミさんとゾロさんも早く付き合えばいいのに」と返してくるのは必至だから愚痴をこぼすこともできない。

その鬱憤を誰かに話したいと思っていたのは事実で、さすが気心知れた幼馴染は自分のそんな気持ちも見透かしてしまったのだろう。

何だか誘導尋問だったような気がしないでもないけれど、チャンスとばかりにそれに乗ってしまった自分もいて、ナミは少しだけ考えてからあの日からあったことを少しずつノジコに話していった。

とどのつまり、自分が罠にはめられて、しかもまだそれが続いているような雰囲気がどうも気に食わない。その上、相手の男は何を考えているのかさっぱり掴めない奴で、自分から一緒にご飯を食べろと言い出したのに会話もないし、隣のカップルにあてられるだけの時間に辟易しているナミを置いて一人で寝てしまうしでイライラが募って夜に布団に入れば、明日こそこの曖昧な関係をどうにかしてやろうと色々と計画を練っては良い解決法も浮かばずに気付けば眠気は吹き飛んでしまっている。

「でも今日はビビ一人だけで行ってもらったし。気楽に一人でご飯食べられるから。もう終わったも一緒なんだけど。一言ぐらいアイツに何か言ってやりたいのよね。大体、チョコだってまだ返してもらってないし・・・」

「ふぅん・・・」

「だってバカにしてると思わない?結局は、ルフィがビビと仲良くなりたいだけで私の気持ちなんて全く無視しちゃってるじゃない。ゾロもゾロよ。何で反対しないのか知らないけど、いい加減はっきり言えばいいのに」

「はっきり?何を?」

「だから!ご飯食べる時だって何も喋らないし、すぐに寝ちゃうってことは私と一緒にご飯なんて食べたくないってことじゃない。それを友達のために無理して私を誘ったってことでしょ?ホント、ルフィにも呆れたけどゾロだってどうかしてるわよ。普通友達のためにそこまでする?」

苦笑したノジコがいやに大人びて見えて、声を張り上げた自分はそれに比べてやけに幼稚っぽくて、ナミは何だか自分を恥じて指先が僅かに出ていた袖をぐいっと引っ張って手をすっぽりと覆った。

「それってさ、その・・・ゾロとかいう子に聞いたの?友達のためにあんたを誘ったって」

「・・・多分。」

「多分じゃ聞いてないってこと?それで勝手に決め付けて酷く言ったら、その子が可哀想だよ、ナミ」

「だって、初めはビビが落ち込んでるからって話で・・・あの子がそんなに気にするなら私も一緒に来ればいいって言ってたし・・・」

「あ、空いてきた。ナミ、先にパン買おうよ。もう少ししたら全部売り切れちゃうよ」


弁解するように慌てて説明したのに、ノジコはナミの言葉を遮って立ち上がった。
渋々と彼女の後について残ったパンの中から中身があまり入っていない卵サンドと、これまた中身がそんなに入ってなさそうなあんパンと、寒いからと自販機でホットココアのボタンを押していると、ノジコが後ろから「ここで食べてくでしょ?」と声を掛けてきた。

「ノジコがここで食べてくならそうするわ」

「じゃ、ここで食べよう」

さっきまで座っていた椅子にまた腰を下ろして、ノジコは熱くなっているお茶の缶を振って暖を取っている。この場所に慣れているノジコにしたって寒いのかと思えば、つま先から伝わる寒さが身震いを起こさせる。

急いで先程の場所に座ると、自分の残した温度に少しだけほっとして「ここ寒いわね」なんて言葉が自然と出てきた。

「つまりさ、あんたはゾロって子が自分と話してくれないから不機嫌なんだ」


口をつけかけたホットココアをごくんと飲み干せば、その熱が体中に伝わってナミは一気にむせ返った。
火傷してしまった舌を少しだけ出して、手の平を扇いで冷ましていればノジコがまた笑った。

「図星」

「・・・違うわよ。ココアが熱かったの」

「へぇ。ね、その卵サンド一個ちょうだい。このピザパン半分と取替えっこ。」

子供のようにウキウキした様子でノジコはナミの返事を聞くまでもなく持っていたパンを半分に千切ってナミに手渡した。

「ノジコ、勘違いしてない?私はね、怒ってんのよ。アイツだってルフィのためにルフィのためにで、バレンタインには私を巻き込んであんなことに加担してるし。」

「そうだって本人が言ったの?」

「言ってないけど。昼ご飯のことだってそうじゃない。聞かなくてもわかるわよ」


ナミに貰ったサンドイッチに噛り付いて、ノジコは天井に目をやったまましばらく考えこんでいたが、その内「違うと思うけどね」と呟くように言った。


「違うというよりは、本人から何も聞いてないんじゃ違う可能性もあるんじゃない?あんただって寝れないぐらい考え込むぐらいならそのゾロってのに訊けばいいじゃない。どういうつもりでバレンタインのその計画に乗ったのかとか。ご飯の時だって誘っておいて何も話さないってどういうことなのかって」

「聞いたって・・・本当のことなんて言わないわよ」

「そう?あんたの話聞いた限りじゃ、ちゃんと答えてくれそうだけど」

「寝てばっかりのトーヘンボクよ」

「でもあんたが授業中にメモ回したらすぐに返事くれたんでしょ?本当に寝てたらメモなんて気付かないと思うけどね」


「・・・・・・それって何が言いたいの?」








「わかんない?」


口の端についた卵を指で拭って、ノジコはニッと口角を上げた。


「少なくともあんたのこと嫌ってはないと思うってこと。それこそ嫌いだったら、あんたを無視するじゃない」

「されてるわよ、ご飯の時・・・いっつも」

「あーあ、これだから男慣れしてない女は困るね。」

「ノジコ!」

「それって、照れてるんじゃないかって言ってんの」



ゾロが・・・?

照れてる・・・・・・?


「・・・有り得ない」

「だから。有り得ないって言葉で片付けないで、本人に訊いてみなって。もしかしたらもしかするかもしれないじゃない。」


パクッと最後のパンの欠片を口に放り込んで、ノジコは開けていないお茶缶を手に「じゃ」と短い別れを告げてナミの肩を優しく叩いた。

いつしか購買には自分と、数人の生徒達と、パンを売る女性二人が残っているだけで森閑とした空気は殊更に寒さを際だ出せては肌を刺す。

だと言うのに、どうしてか顔は火照って心臓は小さく、けれども確かに早く鳴っては何だか落ち着かない気分にさせた。


「・・・変なこと言って・・・」


もしかしたら?

もしかしたら、何があるって言うの?


ゾロがルフィのためにあの日教室で残っていたということが間違いだとしたら。

彼は誰が来るかわかっていたのだとしたら。

全てのことを知った上で、ルフィのためでもなく私を待っていたのだとしたら。





ビビのことはきっかけで、ご飯に誘ったのは。





(私を・・・?)





───ドクン、と大きく胸が鳴った。



途端に鼓動の音が耳について、ナミは慌てて頭を振ってその頬を両の掌で抑えた。

火照ったままの顔にどんな表情を浮かべていいかわからなくなって、困ったように眉を顰めても、口元が何故か緩んでしまう。


(・・・だから、有り得ないんだってば・・・!)

懸命に言い聞かせたところで熱は一向に引いていかない。



『もしかしたら』




「もぅ・・・っ」


呟いて、ナミは冷めて温くなったココアを飲み干した。


火傷した舌の上を甘いココアが滑るとざらりとした触感が舌を這って、赤い顔のまま恨めしげに紙コップの底に残った一滴を、ナミは暫しじっと見た後で深呼吸を一つして重い腰を上げた。




**********




「あ、ナミだ!遅かったなぁ。早く来いよ!!」

いち早く自分の姿を見つけて大きな声で名を呼ぶ。
言うまでもなくビビの隣で座した椅子を傾けて子供のように笑っていたルフィで、一つの机を挟んでルフィと対面に座っていたビビもその声に振り返って、パッと明るい表情でナミに手招きをしてみせた。

きょろきょろと教室中を見渡してみたけれど、ゾロの姿はない。

いつもなら彼らと同じ机でお弁当をつついて、今の時間ならルフィの席の隣。自分の席に突っ伏して寝ている筈だと言うのに、その目立つ緑髪の頭がないのだ。

「ゾロなら今日は屋上でメシ食うってよ」

「・・・べ、別にアイツを探してるわけじゃないわよ」

心を見透かされて、狼狽を隠そうとしたら声が上擦ってしまった。
そんな自分にビビもルフィも無邪気な笑顔を見せるばかりでそれがまた居た堪れない。

「でも・・・なんで?あんた達一緒にご飯食べてるかと思った」

「そりゃナミがいねェんだもんな。今日に限ってお前が来ないからさ。ゾロの奴、ヘソ曲げちまったんだ」

「ゾロさん、ナミさんが来ないって聞いてから不機嫌になったの。ナミさんのこと待ってたみたい」

「何でアイツが・・・」

言いかけて、ついさっきノジコに突きつけられた『もしかしたら』がまた胸に沸いてナミは途端に赤面してしまった。

「今日はホワイトデーだから。ナミさんにお返ししようと思ったんじゃないかしら」

ねぇ、ルフィさん、とビビはくすくす笑いながら黒髪の少年に目を向けた。

「おぅ!俺もビビに返したぞっ!」

「・・・と言っても、ルフィさんってば自分で食べちゃったんだけど」

「お前にも一個やったじゃねぇか」


「イチャつくのもそこまでにしてくれないかしら?」



ビビが見上げれば、腕組みしたナミはゾロと同じく不機嫌そのもので、一体どうしたのだろうと首を傾げれば「アイツの気持ちがわからないでもないわ」と呟いてナミはくるりと踵を返した。

「あ、あの・・・ナミさん?」

「屋上ね?」

短くそれだけ言ったナミに、ビビとルフィは一瞬何のことかわからなかったようで二人して目を合わせた後に、けれども次に満面の笑顔を浮かべて大きく頷いた。






少し小走りになって去っていったナミを見て、ルフィが「な、言っただろ?」と得意げに言うと、ビビは「どうしてわかったの?」と嬉しそうに声を弾ませて尋ねた。

「何となくだ!」



根拠のない自信でも、語尾に迷いなく言い切ったルフィがいやに頼もしく思えて、ビビも彼につられたように屈託のない笑みを浮かべた。


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