144,444HITを踏んでくださったCAO様に捧げます。

幽霊さがし




5




ナミは夕方になって風が街路樹の葉を揺らす頃に、ゆっくりとソファから立ち上がると「私だけならいいけど」と俺を見た。

「あんたのご飯がないのはね」

つんって俺の額をつつく。

それから小さな鞄を手にして「いい子でお留守番してなさいよ」って言った。

俺は昼寝の途中だったから、追いかける気にはなれなくて行ってらっしゃい、て目を瞑ったまま呟いたけど、ナミに届いたかな。


もしも届いたら、ナミはご飯を買って、すぐに俺が待つ家に帰ってきたのかもしれない。




+++++++++++++++++++++++++++




4人は各々、言葉を出し尽くしてもいないのに黙り込んだまま、互いの顔を見ていた。
誰かが口を開かないかと、互いの唇に視線が行っているから、まだ誰もが言いたいことを胸の内に抱えているのだろうということは一目瞭然だった。
ただし、ゾロだけは廊下に座り込んでいるものだから、しかと視線を彼の唇に移すことは出来ない。
それとも彼の姿も含めて、今この場にいる全員の顔をきっちりと視界に入れたいから互いに目を見ず、伏目がちに唇のあたりに視線を合わせているのかもしれない。何せ、少し瞳を伏せれば、暗闇にうっすらと彼の緑の頭を視認することが出来る。

やがてエースが沈黙に耐え切れないのか、皆の耳に届くほど大きな溜息を一つふぅと吐くと、残りの三人は一斉に彼を注視した。
ウェーブがかった癖毛をだるそうにかきあげ、それからエースは開かなくなった窓に目を移して、外をじっと見る。
ビビとナミはその視線を追って外を見たが、月光に照らされた体育館以外、何ら変わったものはない。

「偶数だから意味ねェかもな」と、前置きしてエースはついっと振り向くと、飽いたように瞳を閉じてしまったゾロの頭をこつんとノックするように叩くと同時に「多数決で決めようぜ」と、その唇を開いた。

「多数決・・・で何を、でしょうか?」

ビビが学年が自分よりも上のエースに気遣いを見せ、おっかなびっくりといった様子で尋ねたことは、エースにとっては然程重要でもなく軽く頷いて「目下のとこは、廊下に電気を点けるか点けねェか」と妙に明るい笑顔で答える。声の調子も笑顔に相当して明るく、しかも笑い声のように弾んでいるのだから、当然、夜の廊下の端まで響き渡っていった。

「賛成。多数決なんてするまでもないけど」

自分以外の誰もが暗闇を嫌って、電気を点けることに同意すると信じきっていたナミが剣呑な目つきをゾロに向けても、ゾロは小突かれた頭を一頻り擦った後は憮然として表情を変えず、エースを見上げた。

するならさっさとしろ、とでも言いたげな顔付きだとエースはそれもまた賛同と受け止め、最後にビビを見ると、視線が合った彼女は唇を閉じたままこくりと頷いた。

「じゃあ廊下に電気を点ける奴は?」

「はい」

真っ先に手を上げたのは、ナミだ。

エースも彼女に従うように軽く右手を挙げた。

「・・・・・ビビ、あんたは?」

多数決となったからには、自分から声を掛けると強制することになるんじゃないかと躊躇って、けれどもなかなか手を挙げないビビの顔を覗きこみながらナミが努めて柔らかい声で尋ねると、ビビは「私は」と言って苦笑してみせた。

「迷ってるの。点ける必要がないとも思わないし、でもナミさんがもし怖いんだったら・・・」

「こ、怖くないわよ」

「じゃあ点ける必要ねェな。これで終わりだ」

とっとと話題を切り上げようとして、ゾロが間髪入れずにそう言うと、ナミは不機嫌極まりないとばかりに眉を深く潜めて「何であんたが仕切ってんのよ」と強く反論した。

「怖くねェんだろ。じゃあ何で点けるんだ。」

「誰かが見つけてくれるかもしれないからよ。」

「泥棒と勘違いされるだけだぜ」

「泥棒?」

廊下に座り込んだまま動かなかった男はニッと笑うとようやく腰を上げ、ジーンズの後ろを軽くはたいた。
答えも返さぬままにそんな仕草をされると、問うた側のナミにしてみればどうも歯がゆい。
何なのよ、と咄嗟に僅か俯くとゾロは「ここに居ても仕方ねェな」と廊下の奥に続く暗闇を見据えた。

突き当たりに据えられた消火栓に赤いパイロットランプが灯っている。それだけが頼りだとばかりに、一点を見据え、歩き出す。

「どっか行くのか?」

「保健室で寝る」

「鍵が・・・」掛かってるわ、とビビが歩みを止めない彼を追うように歩き出した。

「やってみりゃ入れるかも知れねェだろ」

「ドア壊すってこと?窓だって全然ダメなのに。ていうかそれこそ正真正銘泥棒と思われちゃうわよ。見つかったら警察どころじゃなくなるわよ。受験とかに差し支えちゃったらあんた将来───」

言葉の続きは、責任取ってくれるわけ、っていつも茶化して言うその台詞になるはずだった。
でも、その言葉はまるでこれから先もずっとゾロと私は傍にいることを期待しているように聞こえるんじゃないかと、彼の僅か後ろを歩く親友の姿を見て気付き、口を噤んだ。
噤んだ分だけ暫時おりた沈黙が息苦しい。
何か、代わる台詞はないものかと頭の中で懸命に言葉を探す。

「・・・それに」

傍らに立っていたエースは身じろぎ一つせず、ゾロの背を見ていた。
好きにすればいいと思っているのだろう。
不安げな顔一つ見せず、むしろ行ってらっしゃいと今にも口にしそうなほど平然としている。
だけど前段の言葉を補うためにはこれしか思いつかない、とナミは一つ間を空けて言葉を続けた。


「それに、エースは3年生なんだから。あんたの所為で受験とか出来なくなったらどうすんのよ。」


やだ。

やっぱりこんな事言うんじゃなかった。

我が事ながらすごく恥ずかしい。

だってこれじゃまるでエース中心に物事を考える、エースを大好きな子の台詞。

───あ、でも。

それでいいのよね。

私は、だって、エースの彼女なんだから。

これぐらい言って当然なのよね。


じゃあ何で言ってしまった言葉を、言ってしまった瞬間に後悔してるんだろう。


躊躇いに唇を固く閉じることを忘れ、隣に居るエースがとんな顔してるかとちらりと見上げると、エースは少し頭で考えてから、俺か?と視線だけで私を見て確認を取った。

頷きを返すと苦笑いしてみせる。

「俺は進学しねェからな」

「行かないの?大学。」

「まぁ・・・・・やりてェことがあるから」

「やりたいこと?」


ゾロとビビは、ゆっくりと歩いてく。
その背を視界の端に捉えながらエースに訊き返すと、エースは腕組みしたまま暫し、私を見ていた。
じっと見てる。
ゆるやかにはねる前髪が、彼の目に掛かってる。
その奥から私を見てる。

真っ黒な髪。

窓から差し込む月光に蒼く輪郭が浮いた。


「留学する。ここ卒業したら」


真摯な声音はそれが短期留学とか、そういった類のものでないということを示していた。


ナミは何も答えなかった。

答えられないというわけではないし、返す言葉は頭にある。

例えば事実を知らなかった彼女という立場であれば、ここで知らなかったと驚けばいいのだと思う。
それから、どうして言ってくれなかったの、と責めることもできる。

だけど付き合ってまだ一ヶ月で、私たちには距離がある。
恋人と言えるほど近づいていない気がしてならない。
この一ヶ月で少し、エースの事がわかったぐらい。
そんな自分が彼を責めることなど出来はしないという思いが先行する。


だけど、一番に声を漏らしてはいけない理由は他にある。


どうしてその事実を客観的に聞いて、次の反応を咄嗟に頭に浮かばせていたかの原因を、自分がよくわかってるからだ、とナミは心中で泣きたくなった。


これじゃまるで演技しているみたいで哀しい。


エースの良さはわかっているはずだし、彼を嫌いというわけじゃない。


だけど私はあの夜をまだ忘れてない。

何でゾロがエースと付き合えって言ったのかがわからない。

ゾロにその事を聞けないままに、一月が経っていた。



随分と重いと感じた。



「驚かねェか」


ハハッと笑ったエースが私の手を取った。

抱き寄せられるままに彼の胸の中で、まるでさも付け足しのように「何で?」と留学の理由を尋ねたけど、エースは「いいんだ」と会話を打ち切った。

耳に唇を寄せる。


───駄目。

そこは駄目。

あの日、ゾロが口付けたその場所だけは駄目。



頭を振った。



「・・・・・あいつらが居るじゃない」


もう姿が闇に消え掛かってる彼らにはここで抱き合う私たちの衣擦れの音も届いてないだろう。

何か喋ってる声が僅かに届いているだけのはずだけど、だけど、でも、そこに熱を感じることは嫌なの。

刻まれた熱を思い出したら、私は居ても立ってもいられなくなってしまうから。

甘く残った熱が私に切なさを与えたら、私は居ても立ってもいられなくなってしまうから。


エースは黙って私の肩を抱いた手に力をこめた。


もう唇を寄せようとしなかった。




+++++++++++++++++++++++++++




7月に入って数日経った日、朝、教室に入るとゾロが私を見るなり手招きして見せた。
他の誰にもわからないような、腕組みした腕の下で私に見える手を少し動かしただけ。
話したいことがあるならあんたからこっちに来てみなさいよ、と自分の席に座って待ってたら、窓際でクラスメートと話していたゾロは億劫そうに壁に持たせた体を動かして、友人たちから離れた。

「来いっつってんだろ。来いよ」

隣の席にはまだ人が来ていなかったから、堂々とその席に座ってゾロは私が座る椅子の足を軽く蹴った。

「私を呼ぶってことはそれなりの報酬を用意してるんでしょうね」

そう言って茶化したら、ゾロは反論しようとしてすぐ止めた。
開いた唇はニッと笑って「まァな」と相槌を打ってみせる。

「珍しい。道理で今日は雨が降ってると思った」

「梅雨だからだろ」

「もう明けるって言ってたもん。梅雨明けしないのはあんたの所為だったのね。」

「・・・ケッ。ふざけた事言ってんな。それよか聞きたくねェのかよ。」

「何を?」


ゾロはにやにやしたまま私の反応を待っている。
きっと私が教えて、とか聞かせて、とか言うと思ってるとわかるからどうも癪になって「別に」と横向いたら「へェ?」と揶揄するような声が聞こえた。


「何よ。あんたが言いたかったら言いなさいよ。性格悪いって言われるわよ。」

「悪くて結構。知りたくねェなら言わねェ」


な、何なのこいつ。
今日はやけに機嫌がいいみたいだけど。
いつもは雨の日、金網をくぐるのが大変だとか文句を言うくせに、今日は何でそう朝から勝ち誇ってんのよ。
悔しいったらないじゃない。
もう絶対、絶対、絶対聞いてやんないわよ。
聞いてやるもんですか。

聞いてやるも・・・・あぁ、でも気になる。

こいつがそこまで機嫌良くなることが何なのかが気になるのよ。
大したことじゃなかったら笑い飛ばしてやれるのに。
そうね。どうせ大したことじゃないわよね。じゃ、聞いてやろうかしら。笑い飛ばしてやるために。

コホン、て咳払いしたらゾロは間髪入れず「聞きてェだろ」と言った。

「聞いてあげてもいいわよ。そんなに言うなら。でも私が別に何とも思わないことだったら、今日のお昼おごってもらうわよ。」

「金ねェぞ」

「つくりなさいよ。それぐらい。」

ゾロが途端に眉を潜めた。
すぐ表情に出るから面白い。
楽しくなってきたから、お返しに私もゾロの真似をしてニッて笑ったら、チッと舌を鳴らした。

「まァいい。見たぜ、今朝」

「見た?・・・何を?」

「猫」

「ああ、あの子。」

梅雨に入ってからゾロは正門から帰ることが多くなった。
朝は遠回りする時間がもったいないからと金網を潜ってズボンを汚れさせ、教室まで来るらしいけど、放課後は私と一緒に帰る。
たまにビビも一緒になって、それにゾロにも友達が居るから、一緒に帰らない日だってある。
だけど何となくそれまでの放課後、二人とも決まった時間に猫を見に行ってたから、他の友人たちは既に一緒に帰るグループが出来てしまってて、私とゾロが二人で帰るという日の方が多かった。二人で居ることが多かったから、ゾロは違うかも知れないけど、もしも別々に帰るとしたら少し寂しいなんて言えるわけなかったけど。
教室でどうでもいいことを話して、雨が小降りなら猫を見に行く。
猫はやっぱり丸々と太ってて、茂みに隠れて雨を凌ぎながら私たちに餌が欲しいと可愛い声を聞かせた。
その声を聞くと生きてるなと思えるから、安心する。

「そういえばここ数日見てなかったわ。元気だった?」

「元気なんじゃねェか。」

「見たんでしょ?で、聞かせたい話ってそれ?」

「いや、だから口に咥えてたんだ。」

「何を」

「子供」




私が嬉しかったのは、猫が子供を産んだということじゃなくて、私が言った通りだったとかそんなことじゃなくて。


仔猫を咥えた猫を見て、この話を私にしたら私が喜ぶと考えたゾロに嬉しい。


だから私も機嫌が良くなった。


放課後、仔猫を見に行こうと約束した。


でもプールへと続くピロティに沿ったクラブハウスの裏手は、校庭からは見えなくても水泳部の人たちからよく見える。
話しているだけなのだから誰かに見られて困るというわけじゃないけど、猫の存在が先生にバレたら保健所に連絡されてしまうかもしれない。
ゾロと私でそんな事を言ってから、私たちは話をする時、夏の日に照らされて青々と茂った木陰に隠れるようになった。

仔猫が居るなら尚更、夏休みまでせめてその存在を隠しておかなきゃ、生まれたての仔猫だったら親猫より遥かに人間が捕まえやすいんじゃないかという危惧から、この日もゾロと水泳部が終わった頃にあそこに行ってみようと約束した。

それは一旦、家に帰っても良い約束だったけど、放課後、一緒に帰ろうと言ったビビの誘いを断って、私とゾロは猫の話をしながらずっと話し込んでいた。

話題は猫から始まって、それから勉強の話とか、友人の話とか、先生の話とか、他愛もないことだったけど、お喋りをしている間に茜空が空を覆っていた。

朝から降っていた小雨がとうとう止んで、すっかり晴れた空から赤い夕陽が濡れた街を暖かく包んでた。


そういえば今日は私の誕生日。


嬉しくなった。
<< Back   Next >>

Back to TOP