白い雲のそのまた上に、天使の羽根を持つ彼らが暮らしている。




迷う者








神・エネルを退けた日。
彼らの400年に渡る長き争いもようやく終結した。

それは、今までの争いが嘘のようにこれほどなく固い結び付きをもたらした。

空の民も、シャンディアも、当初はお互いにぎこちなかったが再び神としてその地を治めるガン・フォールと彼に対して絶大な信頼を寄せるシャンディアの酋長の関係がその下につく人々の心にも影響を与えていた。

ただ一人。
驚くべき早さで打ち解けていく人々に流されない男がいた。

彼の名前はワイパー。
シャンディアの若き大戦士である。

それまで率先して空の民に戦いを仕掛けてきたこともありその頑固で一本気な性格も災いしてか、彼は決して空の民と口を聞こうとしなかった。

決して今の関係を悪し様に捉えているわけではない。
仲間が、空の民と楽しそうに話をしているのを横目で見て(慣れない者から見ると、睨んでいるようにも見えるのだが)タバコを咥えて、自分には関係ないというようにその場を去る。

シャンディアの仲間達はそんな彼を見ては「不器用な男だ」と苦笑していた。



その日、戦いから一ヶ月の節目という日ということもあって遺跡内にあった治療所から、新しく作られた治療施設に怪我人を運ぶことにしてはどうかと、ガン・フォールが酋長に持ちかけた。
「既に半数以上が治療を終え、彼らの住む家も用意できた。この遺跡も、崩れかけた部分もあって不安だしな。新しい治療院がようやく昨日完成したのだが、どうであろう?まだ病床数も多く用意できてはおらんがなるべく、治療が必要な者のみを近いうちにそちらに移そうと思う。いかがなものかな。空の民では、およそあと5人ほどが、治療に専念せねばならんようだが・・・」

酋長が顎に手をやって、考えてから答える。

「そうじゃな・・・シャンディアの民は、大きな被害は被らなかった。直前に避難できたからな。アッパーヤードで戦っていた戦士たちの怪我は鍛えられた者たちのこと、皆完治したと言っても良い。あと治療が必要な者と言えば・・・」
そう言って、酋長は嘆息を漏らした。
「ワイパーか」
「その通りじゃ。しかし、彼奴のこと。この話を聞いたら、ここぞとばかりにすぐにでも退院しかねん」
「・・・ほっほっほ。大人しく寝ておられるような者ではないからのぅ」
ガン・フォールが愉快そうに笑うので酋長も苦笑を浮かべるしかなかった。

「排撃貝を数回使って頻死だったというのに。まったく困った奴じゃよ。命あるだけでも良しとできん。怪我の治療より、そちらの方が問題じゃ」
「まぁコニスがついておるから、大丈夫じゃろう。彼もコニスに対しては看病の恩義を感じているようだし何故かあの子には頭が上がらんようだ。この話も、彼女を通してしてもらった方が無難そうじゃな。・・・新しい治療院に移ってからも彼は、コニスに診てもらうようにしよう」

「そうするしかあるまい。あの娘も一ヶ月よく耐えてくれた。他の者ならこうはいかん。一日ももたんで匙を投げつけておったところじゃ。悪いが、そのように取り計らってもらえるかな」

ガン・フォールの場違いな笑い声がこだましていた。


その頃、コニスは日課ともなったワイパー探しのために遺跡中を大声でワイパーの名を呼びながら歩き回っていた。

「ワイパーさぁん」
もう、朝から何度口にしたであろう言葉をまた叫ぶ。

・・・いないわ。
一体どこに行ったのだろう・・・?
もうすぐお昼になるというのに。

朝、診療所に行くと、いつも彼の姿がない。
診療所で寝泊りして病人を看ている医師の話だと夜明け前にベッドを抜け出して朝ご飯の頃に一度戻る。
その後、コニスが来る前にまた出て行くという具合らしい。

医師が一度それを見咎めて、体を動かしてはいけないと言ったらその視線だけで殺されるかと思った・・・と思い出すだけでも辛そうに気弱な医師が語ってくれた。

私に会うことを嫌っているのかしら。
色々口うるさく感じる部分もあるのかもしれない。
でも、ワイパーは体中に大怪我を負った怪我人なのだ。
あのかわいい船医さんも2ヶ月は動き回ったりしてはいけないと念を押していた。

ここで挫けてはいけない。

むしろ、一見たおやかなこの少女は、逆境であればあるほど
燃え上がる性質だった。

見つけてみせます!と胸中意気込んで、再度ワイパーの名を呼んだ。

崩れかけた遺跡の中を一つ一つ回って、瓦礫の下ものぞいてみる。
雲狐のスーにも臭いの跡を追ってもらおうとしたがそんな訓練をしたことがないスーは、無邪気に遺跡中を駆け回って遊んでいた。



少女は、金髪のおさげを揺らし、きょろきょろと辺りを見回してはワイパーさん、とその名を繰り返し呼んでいた。


その遺跡の上にある数人の影にも気付かずに。


「ワイパー、呼ばれてるぜ」
カマキリがその特徴あるサングラスを指で押し上げてから
親指で眼下をちょこちょこと歩いている少女を指差して言った。

「いいじゃないの。とりあえず、こっちの話を終わらせることが先!」
横から口を挟んだのは、黒髪の端正な顔立ちをしたラキだった。
へぇへぇと言って、カマキリがその場に腰を下ろす。
その眼前には、あぐらをかいて不機嫌そうに眉をひそめるワイパーがいた。
「・・・それで、どうするんだ?」
ブラハムが腕組みしてワイパーに問い掛けた。
「俺は一人で問題ない。明朝出発しよう」
ワイパーがそう答える。

彼らは、シャンディアの若者たち。
ゲリラと呼ばれ、エネルに戦いを挑んだ勇士だった。

彼らもまた、この新しく作られていく都市のために自分たちにできることはないかと数日前から話し合いを続けていた。
その時、アイサが森で神官たちの残した罠を見つけたと、何の気なしに口にした。
怖くて近寄らなかったが、目の前で狼がそれに切り刻まれたという話だった。
近づけば刃がその対象を切り刻むという類の罠であろう。

彼らほど身体能力が高ければ、大した物とも思わないが普通の民にとっては、十分殺傷能力のある罠もいまだ森の中に眠っているということだ。

そこで、それらを全て除去しようということになった。
おそらく、一日二日で終わる作業ではなく、1週間ほどの予定で、メンバーが二人一組で森中を捜索し、それを破棄する。
そういう計画だ。

しかし、問題はワイパーだった。
大戦士カルガラの血をひく彼は、彼らを率いるリーダーでもある。
一ヶ月前の戦いで、一時は自ら身体を動かせなくなるほどの重傷を負ったことを誰もが知っていた。

「大丈夫か?」
ブラハムが、言葉少なにそう尋ねる。
返ってくる答えは、おおよそ予想がつくが、やはり心配だ。
念のため、聞いてみる。

「誰に言っている?」
くわえたタバコを噛み締めながら、ワイパーが鋭い眼光で睨みつけた。

くわばらくわばら、とでも言うように、ブラハムは肩を竦めて両手をあげた。

チッと舌打ちしてから、ワイパーが言う。
「あの女が騒いでいるだけだ。
 もう傷は治っている」
身体中に巻かれた包帯を苦々しげに見つめる。
「とにかく、明朝には皆出発だ。
 何があるかわからねぇ。武器を用意しておけ。
 カマキリ。お前はラキと組め。
 ゲンボウはブラハムとだ」
「ワイパー、本当に一人でいいの?」
ラキが、心配そうな声色で再度聞いた。

ワイパーは、不機嫌そうな顔で、無言のままその遺跡から飛び降りて、去って行った。

「ラキ、気にすんなよ。
 ワイパーの奴、最近あの子がしつこいから
 ご機嫌斜めになってんだ」
「カマキリ」

心配を打ち消せない表情で、去って行くワイパーの背中を見つめていたラキにカマキリが声をかけた。

「あの子もなぁ。わかってやってんのかな。
 前は、諦めて診療所で待ってたのに
 最近は見つかるまでずっと歩き回ってるだろ?
 ワイパーも、結局それに折れて、自分から姿を見せるんだよな。
 それが、ワイパーにとっては嫌なんだろうよ」

まぁ見とけって、とカマキリが言うので、ラキも黙ってワイパーを見ていた。

彼の足取りは、迷うことなく彼女の方へ向かっていて、しばらくすると彼女の「ここにいたんですね」といううれしそうな声が聞こえた。

「ワイパー、何であの子には弱いのかな?」
「ワイパーはああ見えて、優しいところがあるから
 シカトできないんだろ。
 あれがお前だとしても、同じだと思うぜ」

カマキリの慰めが聞こえているのか、聞こえていないのかラキは二人が連れ立って歩いて行く後姿をじっと見ていた。