光仄めく |
2 ワイパーとコニスは誰がどう見ても付き合ってるだろ、とカマキリが言った。 「周りから手を出さなくても自然とそういう事するんじゃない?」 「すると思うか?あのワイパーが」 家に来るなり、カマキリは誇らしげに明日俺はワイパーに感謝されるかもしれねェな、と言った。 それまではあたしを無力な女扱いした酋長に対しても、それからあたしの気持ちも汲まずにそれに同意した仲間に対しても、怒りを抑えることが出来ず、こいつらを無視して三日目の朝だ。 朝と言っても、昼に近い。 カマキリに話によると、ワイパーをどうにかしてけしかけたのになかなかその場を動こうとせずにじっと考え込んでしまっていたワイパーが心配で、物陰から彼が腰を上げて、あの架け橋を渡り切るまでを見届けたから来たのだと言う。 朝日が昇れば朝食を食べて、その後すぐに探索に出かけるはずだから、あたし達のリーダーは長い時間迷っていたのだろう。 その姿を見届けようと長時間物陰に身を潜めているカマキリもカマキリだ。 呆れちゃうけど、彼のこんな性格は憎めない。 それでつい、本当にずっと待っていたの?と、笑ってしまったら、カマキリはワイパーとコニスは誰がどう見ても付き合ってるだろ、なのに何もねェってのはおかしい、と白い歯を見せて笑みを返してきた。 「そりゃ・・・ワイパーは今まで経験なかったかもしれないしね」 「かもしれない、じゃねェさ。この狭い部落の中でアイツの相手した女がいねェんだからな」 「わかんないじゃない。誰も口にしてないだけで。」 「いーや、俺にはわかる。アイツはまだ童貞だ。今まで打倒エネルで俺達の2倍・・・3倍は戦ってきてただろ」 「そんなこと言って、ワイパーに殴られても知らないから」 沸いたお湯にお茶の葉とお酒を少し、加えて絨毯の上に胡坐をかいて座っていたカマキリの傍らに置いた。 シャンディアの長老達が作った湯のみは熱を逃がさない。 大地の上で暮らしていた先祖の知恵を、ある程度硬度を保つ雲にも活かして生活用品に仕立てあげる。 女ならば当然、幼い頃から作れて当然のそれを、エネルとの戦いを終えて初めて母に製法を教わった。 初めて作ったそれはどこか荒々しいし、熱もすぐに逃げてしまう。 だがカマキリはそれが良いと言う。 ───俺ァ猫舌だからな。 彼がそう言って笑ったから、その日からこの湯のみはカマキリ専用の物になった。 実際彼には両親がなく、時折食事を作ることが面倒になってあたしの家に来る。 戦士の一人として家にそうそう寄り付くこともなかったあたしは、この新しい島雲に家を建てることになった時、父や母とは別の家を、両親を亡くした奴らが住まう地区に持つことを選んだ。 以来、カマキリは自分の家に居ることはほとんどない。 あたしのお茶が美味しいと言って、いつもこの家に来る。 シャンディアの女が出来て当然の事を出来ないあたしは、お茶を淹れることも、食事を作ることも、男に比べればマシだとは思うけど、決して美味しいとは思えない。 ワイパーなんかはあたしの食事を食べてる間は決して口を聞こうとしないし、ゲンボウははっきりと不味いと言った。 ブラハムは苦笑しながら「ま、こういう味もありだ」と言って、カマキリだけは「旨い」とおかわりを強請った。 「味覚音痴のあんたに聞いてもしょうがないけどさ。美味しい?」 「俺が味覚音痴って?誰が言った?」 「だってあたしのお茶美味しいって言うのは、カマキリ。あんただけじゃないか」 「そういうことになってんのか」 湯気の立つお茶を一口含んで、カマキリは髪のない頭を掻いた。 純炭の上に戻された湯のみはトンと音を鳴らして水面がゆらりと揺れていた。 「そういうことでもいいけどな」 カマキリの、細い指は嫌いじゃない。 ワイパーの指に焦がれた時期があった。 あの指があたしの肌を這うことを想像して、でもそれが消えたのはいつからだろう。 戦いの最中、カマキリに一度抱かれた。 それからだ。あたしがワイパーを男として見なくなったのは。 酋長が一度、あたしだけを呼びつけて深刻そうに語ったのは、子供の話。 戦いに出る前はあたし達の中に眠っている本能が強く表に現れて、子供を作ろうとしてしまうから気をつけろと言った。 つまりは、戦いに出るならセックスをするなということ。 もしも子を宿してそれも知らずに戦いに出て、何かあったらどうするんだと酋長は言外に言っていたのだろう。 ヤバイ、って思ったさ。 その時にはもうカマキリと関係を持った後だったから。 「嘘だよ。わかってる」 だから、カマキリの細い指は嫌いじゃない。 だってそれからずっとカマキリを拒んでいて、そういう雰囲気になることを避けていて、カマキリはすぐにあたしに遠慮して元の仲間に戻ってくれた。本当は、でも、あたしはこの節くれだった細い指に触れられたくて仕方がなかったんだ。いつも目で追ってた。もしかしたら、強引にあたしを奪ってくれるんじゃないかって。 「あんたには感謝してるよ」 「・・・さっきまで怒ってたのに女心ってのはわかんねェな」 そうやっておどけて見せるとこもさ。 あんたって、なんて優しいんだろう。 「・・・・・・今は、もういいんだ。」 サングラスの奥で、カマキリが瞬きをした気がした。 「酋長に言われたんだ。あたしが女だから子供を作るなってさ」 「女だから・・・って、そんな決まりがあったか?むしろ逆じゃねェか」 「ああ、違うよ。違う───ずっと前にって話。今は違う。」 「はァ・・・」 カマキリが間抜けな声で相槌を打った。 傍らに座って、あたしの欲した指は、あたしが手を動かせばすぐにでも触れることができる。 できるはずなのに、それができない。 「だからさ、もういいんだ」 「・・・・・・」 「その・・・あたしと」 不意に、手に熱を感じた。 すぐに冷めてしまう湯のみは、それを少しの間持つだけでも手に熱を与えるのだと知った。 彼の指があたしの手の上に重ねられていて、全身が石みたいに重い。 固まってる。 だって、動かせない。 「言いたくなきゃ言わなくていいさ」 「・・・・言いたくないわけじゃないよ」 「そういうのは、俺の役だ」 「あんたって、本当に・・・」 なんて、優しい。 なんて優しい奴なんだろ。 あァ、ダメだ。 涙が出てきちゃう。 あたし、こういうのには慣れてないんだ。 「バカ、やめて」 カマキリが苦笑しながらあたしの頭をまるで子供にするみたいに撫でていた。 女扱いは嫌いだけど、子供扱いはもっと嫌い。 だってさ、涙が止まらなくなっちゃうじゃないか。 「いいんだ。俺がこうしてェから。」 撫でていた頭を、ゆっくりと下ろしながら彼の指はあたしの髪を梳いていく。 その手に導かれるように、彼にそっと唇を寄せた。 触れるだけの口付けはお酒の香りが甘く響いて胸が苦しくなる。 重ねられた手から、その輪郭のままに腕を、肩を、彼の鎖骨から顎fへ、余計な肉など付いていない頬をなぞり上げて、瞳を隠すサングラスを取り外した。 「いつもこれしてる理由、聞いていい?」 「そりゃ決まってるさ」 「これかけてりゃ、未練がましくお前を見てるってわからねェだろ?」 舌を絡ませた。 柔らかく、時折強くあたしの口の中で蠢く彼の舌のその動きを感じる度に、体の一部分が疼いていく。 じんわり沁みて彼の指を───彼を待ってる。 「・・・・ん・・・・」 無意識の内にあたしの腕は彼に縋るようにその首に回されて、徐々に激しさを増す口付けに暫し我を忘れていると、突然カマキリの唇が離れていった。 その熱が名残惜しくて漏れた吐息はあたしが女だということを自分自身にも認識させるほどに甘く、急に恥ずかしくなって内心で懸命に頭を振ると、何も気にしてないフリをして、彼と共にその手の中を覗きこんだ。来た時に持っていた鞄に入れられていた手は、何かを握って取り出される。 「実は俺も、今日拒まれたらどうしようかとな」と、躊躇いがちな声で前置きをしてカマキリはその手を開いた。 手の平の上には見たこともない─── 「何それ?木の実?見たことないね。大地で拾ったの?」 「・・・・・・そんなとこ」 「嘘つかないでよ。カマキリ、あんたサングラスないと本当にわかりやすいね。目が泳いでる。」 「うっ・・・・ま、まァそんな事言わずに食ってみろよ」 思いっきりたじろいでるくせに、その木の実を私が食べるとでも思ってるんだろうか。 「そんなことより、さっきの続き」 唇を重ねたら、カマキリがあたしの腰を抱いた。 ・・・・・・手は、握ったままで。 無視、無視。 まだ木の実に意識を持っていかれてるカマキリの気を、あたしだけに向けさせるためにその唇を、啄ばんで、それから彼の舌を彼がさっきあたしにしてくれたみたいにその裏側も舐めてから、あたしを求めて口の中に入れられたそれに軽く歯を立てた。 「・・・ん・・おい、待てって・・・お・・・ラキ・・・」 まだあたしの腰に回された手は握ったままで、カマキリはそれの存在を忘れていない。 顕になった肌を舌でなぞっていく。 彼の鎖骨に吸い付いたら、カマキリは、もう堪らないとばかりにあたしを乗せたまま静かに後ろへと崩れていった。 「ふふ・・・観念した?」 「話を聞けよ」 「んもう。何なのさ。その木の実。」 あぐらをかいてたカマキリとそのまま倒れ込んだのだから、あたしは彼のおなかに座ってる。 小さい頃から戦いのために鍛え上げられた肉体は、あたしの重さを苦ともせずに、彼はいそいそと手を開いて「飲んでみろ」と言った。 「何を企んでるか言ったらね」 「バカ、企んでなんかねェさ。ただちょっと気持ち良くなるかもしれねェてぐらいで」 「・・・・・」 じろりと睨んだら、カマキリは慌てて言葉を訂正した。 「び、媚薬だ!せっかく手に入れたんだから使ってみてェ・・・というか・・・」 「・・・・媚薬?」 「それにお前・・・緊張してるだろ。」 「もうしてないよ。」 「───俺もしてるんだ」 言って、カマキリは照れ隠しなのか苦虫を噛み潰したような顔であたしを見上げてた。 「呆れた」 「うるせェ。だから言いたくなかっ・・・」 「黙ってたから呆れたって言ってるんだよ」 今度はちゃんとこの目で見た。 彼の瞬き。 不思議そうにぱちぱちっと二回、瞳が瞬かれてその後は私の顔を食い入るように見てる。 自然と笑みが零れていった。 彼の手の平の上に乗せられていたその木の実をひょいっと摘んで、口の中に入れたら、苦味の後にすぐ甘い味が舌の上に広がっていく。 「おい、ラキ?」 「あたしだって緊張ぐらいするさ」 「・・・してねェって言ったくせに」 バカだね。 するに決まってるじゃない。 いつだって、するさ。 「こうしようよ」 木の実を舌の上に乗せたまま、彼に口付けする。 舌で、彼の口の中へと甘い味を放つ木の実を押し込んだら、カマキリは唇を緩めたことがその動きでわかった。 「これなら二人で・・・──ン・・」 言いかけた言葉は、すぐに激しく絡みあった舌に押し戻された木の実をまた自分の口の中で味わうことで失われた。 唾液の鳴る音が部屋に響いていた。 それだけで、あたしはイキそう。 途切れる吐息に甘い声が混じったって、もう気にならなかった。 |
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